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アラフィフ、己の勘違いに気づいて赤面する

以前、こういう記事を書きました。

漢検2級に合格したという記事ですが、その中でこう書いています。

この記事は、いわゆる「漢検2級合格への道」というものではありません。

むしろ私は「不合格の理由」という記事を書こうとしていたからです。

プロ野球の名将、故・野村克也氏に「勝ちに不思議の勝ちあり。負けに不思議の負けなし」という名言があります。

今回の合格はまさに「不思議の勝ち」でした。

この「勝ちに不思議の勝ちあり。負けに不思議の負けなし」という名言ですね……

野村克也さん独自の名言ではなかったんですね……
座右の銘ということではあったようなんです。それを勝手に野村さん発信の言葉だと思い込んでいました。

そのことに気づいたのはスマートニュースか何かで栗山監督の記事を読んだときで、「ひゃ〜」と叫んでしまいました。

私、noteに得意げに「故・野村克也氏に〜」とか書いちゃってるじゃない!
ただでさえ自慢げな記事なのに!

恥ずかしいんで訂正しようと思いつつ時間が経ってしまっていました。

今日ここで訂正してお詫びします。

「勝ちに不思議の勝ちあり。負けに不思議の負けなし」とは、江戸時代後期の平戸のお殿様、松浦静山公の著書「剣談(常静子剣談とも)」の中の一説なんだそうでございます。はい。

この方は肥前国平戸藩の藩主で、剣の達人であり、江戸時代を代表する随筆「甲子夜話」の作者でもあらせられるお方だったのです。

「甲子夜話」って278巻にも及ぶ大作で、執筆に取り掛かったのは静山公62歳の頃。
その後、逝去されるまで20年書き続けられたと。
その内容も巷の話から政治軍事に至るまで多岐にわたるのだそうです。

私、今53歳なんですけど、これから20年ずっとnote描き続けるかなと考えると、そのバイタリティを尊敬せずにはいられません。

武芸にも文芸にも秀でた静山公だからこそ、「勝ちに〜」の名言を生みだせたことのでしょう。

現代語訳の部分を引用させていただきますね。

「私は、『勝つときには不思議の勝ちがある。しかし、負けるときには不思議の負けということはない』と客に言った。客は『なぜ不思議の勝ちと言うのか』と質問をしてきた。私は『本来の武道の道を尊重し教えられた技術を守って戦えば、たとえ気力が充実していなくても勝つことができる。このときの心の有り様を振り返ってみれば、不思議と考えずにはいられない』と返答した。そうすると客は、『どうして不思議の負けはないと言うのか』と質問してきた。私は『本来の道から外れ、技術を誤れば、負けるのは疑いのない事だから、そう言ったのだ』と答えた。客は恐れ入って平伏した」。

「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」 | 独立メディア塾

「なんか知らんけど受かった」なんていう場面で使う言葉じゃないみたい。

どうも思い込みが強くて、タイピングの勢いに任せてこんなことをうっかり書き散らしてしまうんで、これから気をつけていきたいです。

ああ恥ずかしい。



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