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フレットレス

夜中に「ちょっとフレットレス触ってから寝るか…」なんて思う余裕が出てきたことに自分でビックリ。

まぁ、このまま暇な日がどこまでも続くのは、逆にヤバいのだが。。。
この1年ほどは、直近の仕事の準備に追われながら、朝起きた時に自分がどこにいるのかわからなくなるくらいあちこち移動しながら、とりあえずコントラバス弾きとしてのコンディションをギリギリ整えることに精一杯だったから。こういう衝動や気紛れ、大事だな。ほんと。

本来はエレクトリックベース弾きとしてこの仕事を始めたのだ。コントラバスは学生時代に部室にあった楽器を少し触ったことがある程度だったのだが、プロになって数年経ってから突然やりたくなって吉野弘志師匠のところへ習いに行った。最初のうちは本当に下手くそで(今もだけど…)全然弾けなかったのに何故か皆さん面白がって使ってくださった。20代〜30代、両刀使いとして活動していたが、徐々にコントラバスの比率が上がってきて、気がつくとレギュラーでフレットレスを弾くバンドは、松風鉱一カルテットだけになっていた。昨年、松風さんが亡くなって、とうとう仕事でエレベを弾く機会がなくなった。

あれはいつだったか、それまで僕はフェンダーのジャズベース(フレッテッド)をずっと弾いていたのだが、なかなか気に入った楽器に巡り会えず、探しているところだった。ある日、サックスの竹野昌邦が知り合いから頼まれたという楽器を新宿 Pit Innでのライブの時に持ってきて「弾いてみる?」と触らせてくれた。素晴らしく反応の良い 1960年代のフェンダージャズベース。前の持ち主が自分でフレットを抜いたためビンテージとしての価値が低く、なかなか買い手がつかなかったらしい。しかしそのおかげで楽器のクオリティからしたら半額くらいの値段になっていた。その場で買うことに決めた。フレットレスは弾いたことがなかったが、その日からそれがメインの楽器になった。弾きすぎで指板がすぐに凸凹になる。すり合わせを繰り返しているうち、これ以上削れないところまで指板が薄くなってしまった。当時お世話になっていたメンテナンスの方と相談の上、張り替えを決意。しかも指板を黒檀にするという冒険に出た。結果とても良くなった。それまでのクオリティを損なうことなく、楽器として表現の幅が広がった。ただ一点、職人さんが「こんな綺麗な指板に線を入れられっか!」と、どうしてもフレットラインを入れてくれなかった。仕方がないので、ポジションマークだけフレットの位置に動かしてもらい、そこから必死で練習した。それには、吉野師匠の下でコントラバスを練習してきたことが非常に参考になった。
コントラバスを弾き始めたばかりの頃は、それまでエレクトリックベースで自分なりにトレーニングしてきた1234の4指で半音を取る運指をコンバスの基本、124の3指で半音を取る運指に変換する作業をしながら、練習してきた。その時に叩き込まれたフォームの基礎を逆に4指の運指に変換しフレットレスに応用する。二つの楽器を行ったり来たりしながら、それまで別物として弾きわけていた楽器をシームレスに行き来できるようになっていた。

パンデミックで仕事がゼロになり、練習しかすることがなくなった時、それまで適当に誤魔化していたアルコをちゃんとやってみようという欲が出ててきて、自分なりの練習方法をいろいろ考えてみたり、地元であった弦楽講習会に出て(ちょうど弓に関する事をやる回だった)それが間違っていないことを確認したり・・・
まだまだだけど、アルコの楽しさがわかってきて、また沼る。。。

この歳になって練習したいこと、練習しなきゃならんことが多すぎて、楽しい。しかし、どんだけ下手なんだ、オレ・・・

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