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時代を切り取り編む魂。

令和の今上陛下は126代
殆どの時代歴代の帝は
苦難の時代も自ら戦をせずに済んだはずが

平和を求めながら
戦せざるを得なかった帝もおられる
時代の狭間に立たれた帝は特に
圧倒的に輝く個性を放たれた

下記の新古今和歌集仮名序は
三種の神器を欠いて即位することとなった
後鳥羽天皇が
藤原良経に書かせたもの。

武家の世にうつろい
万葉古今を偲ばれ
天皇にとっての歌う政を
世に轟かせ残すべく
お示しになられたのが
新古今和歌集。

古と今
新たな古と今。

タイトルからして完璧。
以下一部抜粋。


新古今和歌集序

やまと歌は、むかし天地ひらけはじめて、
人のしわざいまださだまらざりし時、
葦原中つ國の言の葉として、
稻田姬、素鵞[すが]の里よりぞ傳はりける。

しかありしよりこのかた、
その道さかりにおこり、
そのながれいまに絕ゆることなくして、
色にふけり心をのぶるなかだちとし、
世を治め民を和らぐる道とせり。

かかりければ、
代々の帝もこれを捨てたまはず、
撰びをかれたる集ども、
家々のもてあそび物として、
言葉の花、のこれる木のもとかたく、
思の露、漏れたる草隱れもあるべからず。

しかはあれども、
伊勢の海淸き渚の玉は、
拾ふとも盡くることなく、
いづみの杣しげき宮木は、
曳くとも絕ゆべからず。
物みなかくの如し。
歌の道またおなじかるべし。

これによりて、右衞門督源朝臣通具、
大藏卿藤原朝臣有家、
左近中將藤原朝臣定家、
前上總介藤原朝臣家隆、
左近少將藤原朝臣雅經らにおほせて、
昔今の時を分たず、髙き賤しき、人を嫌はず、
目に見えぬ神佛の言の葉も、
うばたまの夢に傳へたることまで、
廣く求め、普く集めしむ。

各撰び奉れるところ、
夏引の絲の一筋ならず、
夕べの雲のおもひ定めがたきゆゑに、
綠の洞、花かうばしきあした、
玉の砌、風凉しきゆふべ、
難波津のながれを汲みて、澄み濁れるを定め、
淺香山の跡をたづねて、深き淺きをわかてり。


この後
万葉の古歌は汲み
古今含め七代集は汲まないなどの
編纂意図が続く。

編集とは切り取ること。
和歌や句を詠むとは
写真を撮ることと同じ
和歌集を楽しむのは
インスタなどsnsを眺めるのと同じだ。

古今の和歌の編纂とは
日本の時代を切り取ること
まさに生涯を賭けること

だから後鳥羽院は
武家に敗れ隠岐に流されたその隠岐でまでも
新古今和歌集をまとめ上げて臣下に託した。


古今集をリスペクトして書かれた
新古今は古今集同様に
仮名序を以って始まり
真名序(漢文)を以って終わる。

その新古今の仮名序は下記のように終わる。


時に元久二年三月廿六日になんしるしをはりぬる。
目をいやしみ、耳を尊ぶがあまり、
いそのかみ古き跡をはづといへども、
流れを汲みて源を尋ぬる故に、
富の小川の絕えせぬ道を興しつれば、
露霜は改まるとも松吹く風の散りうせず、
春秋はめぐるとも、空ゆく月のくもりなくして、
この時に逢へらむものは、これを喜び、
この道を仰がむものは、今を忍ばざらめかも。


政治的手腕は
武家にも公家にも反感を買うことも多く
隠岐にて崩御された後鳥羽院。
想いの強い強い強い帝
善いとか悪いとかは
立場で変わるものだ
後世に必要なものがただ残るのだとしたら


この道を仰がむものは、今を忍ばざらめかも。

和歌の魂を継ぐものに
新古今に触れてほしいと
それほどの物を託したと。

「時代を切り取った編者の魂を読む」

このブログで和歌集を追うときは
そんなスタンスになるでしょうか。


感謝合掌





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