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オリエンテーリングは危険なのか

 この記事はオリエンティアアドベントカレンダー2023の20日目の記事です。

 こんにちは。入間市OLC/東大OLK所属の溝端昭子と申します。デフで名字が表せる生粋のオリエンティアです(適当)。
 アドベントカレンダーの9日目を担当したいずみん、12日目を担当した三井、裏アドベントの8日目を担当した折橋くんはOLK同期です。
 大学は明治大学(@meiji_orienteer)2021年度入学です。明治大学のオリエンティアは約40年ぶりらしいですね。うちの大学はインカレサークルが禁止なので、クラブとしては活動していないのですが、現在4人のメンバーが一緒に活動しています。

 今回私が書くのは、大会責任者を務めた第45回東大OLK大会の事例を元に考える、大会運営での安全管理についてです。(三井は地図調査の視点、折橋くんはバス輸送の視点から、と全員が違う視点からこの大会を振り返るくらい、たくさんの反省点、学び、挑戦があった大会でした。)
 先日、OKアウォードでも古峯ヶ原がベストテレイン部門の2位に入賞、更に他の部門もすべて5位以内にランクインしました。投票、温かいコメントをくださった皆様、そして大会にご参加、ご声援いただいたすべての皆様に深く感謝します。(いろいろと本当に大変な運営だったので、本当に皆様のご支援、ご声援に支えられました)

 いつもは誰かに真面目に読まれるのが嫌で敢えて読みづらい文体や構成で書いているのですが、今回は大事なお話になる気がするので頑張って書きます。一意見でしかない文章ですし幼稚な人間の文章でしかありませんが、安全管理に関して考えるきっかけとしていただければ幸いです。

※なかなか真面目な内容になってしまいました。クリスマスにぴったりな(適当)ほっこりした内容を読みたい方は最後の章まで飛ばしてください。因みに私はサンタクロースからのプレゼントが欲しいです


1.経歴

 別に要らないでしょうけれど、なかなか特殊なオリエンテーリングの始め方をしたので、書いておきます。そんなわけでこの章は長くなることを予めご了承ください。

 私は、高校2年生の7月に自らメールし入間市OLCに入会しました。・・・というと、高校でやってたの?とか、二世?とか聞かれますが実はそのどちらでもありません。
 入会したのはオリエンテーリングを始めるためで、オリエンテーリングを始めようと思ったのは、高2のときに寝坊でよく遅刻するようになったときに、「体力つければ寝坊しなくなるのでは!」と考えたからです。高校は体育の授業が存在しない通信制高校でした(特殊な高校なのですがその話はまた今度の機会に)。
 両親と弟が、私が高校生になるタイミングくらいでフォトロゲをやっていて、楽しそうだな、でももうちょっと競技っぽいのがいいな、と思っていて、そこで見つけたのがオリエンテーリングでした。入間市OLCに入るまでもいろいろネットで検索して、ランキング制度や全日本大会があることを知ったり、県協会のオリエンテーリング体験会に家族で参加したり、パーマネントコースに一人で行ったりしていく中で、オリエンテーリングを本格的にやりたいなと思っていました(逆に「小学校の野外教育のオリエンテーリング」「レクリエーションのオリエンテーリング」は通っていなかった)。
 要するに、「何かスポーツ始めたいなあ」と思って始めたのがオリエンテーリングだったわけです。それが今でも続いていることに感謝。

 東大OLKの存在はいるまのOLKのOBOGさんから聞いて知りました。
 高2から第一志望は明治大学で、明治大学にオリエンテーリングのクラブがないことは知っていましたが、そこで「OLKマイナー校」という存在を知り、明治大学にいながら東大OLKに所属することを選びました。今思えば受験期にUNIVASのインカレのハイライト見てたりしたなー。
 OLKに入ったばかりの頃は、新歓期からアナリシスを書いたり、デフを勉強したり、体験会でサムコンにOシューズにという装備、OLKデビュー戦で当時4年生の先輩とWAのリレーを走ったりするような、いかにも「経験者」のような新入生でした。夏に行うOLKの外部公開練習会、「夏場所」では、一女にもかかわらず一人での撤収を任されました。
 でもほとんどの方が私の実績を知らないように、満足のいくような結果を出せたことはありません。関東学連新人戦は入賞圏外、1年生の全日本ロングでは1時間20分ミス、インカレも選手権併設共にメダルどころか入賞も一桁順位もありません。今年のインカレロングではようやく選手権クラスに出場できたものの、40分ミスに散りました。

 という感じで毎週オリエンテーリングをしているにも関わらずうまくなる方法がどうも掴めない人間です。でも目標があるからずっと続けています。悔しいからずっと続けています。
 知っている方も多いと思いますが、2つ下の弟が今年からオリエンテーリングを始めました。受験期は「絶対やらない」とか言っていたのに、不思議ですね。弟はどう思っているのか知りませんが、いつか弟と選手権を走りたいなと思っています。
 やっぱり長くなった。

夏調査で初めてクマが出たときに話し合う調査者

2.オリエンテーリングは安全だと思っていた

 過去の自分への戒めも込めて、正直に書いていきます。
 第45回東大OLK大会の開催地である「古峯ヶ原(旧足尾勝雲山)」は電波が通じず、熊出没のリスクがあり、更にテレイン内にはっきりした道は少なく簡単にリロケできない、競技者にとっても運営者にとっても非常に難しいテレインです。そんなテレインで700人規模の大会開催を目指すということで、第42回大会時や内部練習会での安全策を参考にしたり、JOAから発行されている「ナビゲーションスポーツのための安全ガイド」(現在みられるのは2016年版となっているようですが)を読んだり他の運営者にも読むよう推奨したり、トレランの死亡事故の報告書を読んだりして、できることを考えていました。

 でも、正直「安全管理」と言って特別やるべきことはないだろうな、と思っていました(遭難防止テープや熊鈴必携は最低限ですが)。
 死亡事故はそうそう起きないし、ある程度は参加者側の自己責任になるし。自己責任になることを参加者も多少は理解しているはずだし(初心者向けクラスを作っていなかったため)。
 ある渉外先から「死亡事故が起きる可能性もある」「自己責任って言っても参加者には伝わらないんじゃないか」などと言われた時は思わず首をかしげて苦笑いしていた気がします。その渉外先の指導により参加にあたっての注意事項、同意書、プログラムの多くのページを占めた危険事項の記載といった、学生大会ではほとんど行われないような異様なまでの注意喚起を行ったのですが、一種の違和感のようなものを覚えていました。一緒に渉外をした仲間と帰りに「大会終わったら渉外先にやれって言われたからいろいろ注意喚起してたんですよ、って言いたいわー」「なんか違う競技を思い浮かべてるみたいだよね」と笑っていたことを覚えています。
 
 オリエンテーリングは小学生から80歳、90歳といった方まで、老若男女誰もができる競技。
 オリエンテーリングは身軽に山を走って地図を読んでポストまで行く競技。
 そんな競技で人が死ぬようなことがあったら毎週大会は開かれないし、間違っても危険な(死者が出る)競技ではないと信じていました(※安全ガイドを読んで過去に死亡事例があったことは知っていましたが、特殊な事例だと思っていました。少なくとも毎年数人が死ぬような競技ではないですから)。

調査中に水径に金色に光る物質を見つけ、「金がとれる!」と興奮する調査者

3.オリエンテーリングが安全じゃなくなった日

大会翌々日にとりあえず残したメモ。今は思ってないこともあるし意味不明な記述もある

※ここでは詳細を差し控えます。詳しい内容は報告書をご覧ください。

忘れもしない。
辺りは暗くなり、雨は止まない、そんな中朝からずっと山にいる運営者たち。
早くバンで運営者を輸送しないと全員帰せなくなると焦る会場。
Twitterと電話での情報収集に追われる私。
警察と消防に連絡を入れる渉外責任者。

「携帯電話を持って出走していないので連絡はできなくて・・・」
「ルートが決められていないのでどこにいるかもわからなくて・・・」
 隣にいる渉外責任者は、捜索対象者がどこで行方不明になったのか、今どこにいるのか見当がつかないということを説明するのにとても苦労しているようでした。

 目の前で交わされる言葉は、どれも実感のないものでした。だけど、その日に捜索対象者から聞いた言葉は、ほとんど遠い話ではありませんでした

 話の詳細は避けますが、「分からないけれどとりあえず動いた方がいいだろう」と思って大ミスしたことがある方は多いのではないでしょうか。
 規模が大きかったため報告書を読んだりしても自分には遠い話だと思った方がいたかもしれません。運営者の中にも「意味が分からない」と言っている人はいました。しかし、悲劇の始まりは決して過信や異次元の思考ではなく、多くの方が一度は陥ったであろう「とりあえず進んでみれば」であったのです。

 私もこんな記事を書いていながら「とりあえず進んでみよう」で1時間を超えるミスやインカレ選手権クラスでの40分ミスをしています。だから、話を聞いたときに決して異次元の話だとは思いませんでした。自分もそうなるかもしれない。他の誰かがそうなっていたかもしれない。少なくとも「誰もそんなことしない」なんて言い切れない

 報告書を読むと分かりますが、この件は最終的には捜索対象者が自分の足で集落に辿り着き、保護されています。もし体力が少しでもなかったら、もっと高齢の方やあまり判断ができない方だったら・・・
 
 お気づきかもしれませんが、2章の渉外先が危惧していたことがほぼ現実となってしまいました。
 その時に、知らぬ間に自分の中にあった「オリエンテーリング安全神話」のようなものは消え、オリエンテーリングは危険なスポーツだと認識が変わりました。そして、警察や消防への対応に苦労する渉外責任者を見ていても、
「携帯電話もっていないので連絡つきません、どこ通ったのか、どこにいるのか見当つきません」
なんて、そりゃあ向こうにしたら困惑しかしないだろうなあと思いました。

大会前日の2時半までかかった景品仕分け。前日はトラブルがあり、泣くほど辛かった

4.オリエンテーリングで死者を出さないために

 書いてしまった感のあるタイトルですが、結局運営者が最低限目指さなければならないのはここだと思います。
 このOLK大会に人生を懸けていたといっても過言ではなかった当時の私ですが、前章の出来事で「参加者を守るために運営者にできること、考えなければならないことがあるはず」と考え、まだ運営の世界にいます。誕生日にはイベントアドバイザーの悠さん、作図責任者と安全管理に関するミーティングを行いました(誕生日にこんな重たいミーティングを設定したのは、考えることが好きな自分への誕生日プレゼントにしたかったからです)。
 そこで話し合ったこと紹介します。

①運営負荷になるから、で安全管理を怠らない

 今回、「運営負荷になるから」と削られた安全対策が複数ありました。

  • 北側の遭難対策テープ(これがあれば3章の遭難は起こらなかった)

  • 関門を置くこと

  • 遭難リスクのある箇所に役員を置くこと

  • 有人救護所、有人給水を複数置くこと

 これらは「そんなこと考える余裕なかった」「あればよかっただろうけれど考えられなかった」ことではなく、全て、遭難対策資料や運営者の考えの中にあったことでした。
 これら全てを行うことで遭難を防いでいたかとなればそうとも言えませんが、
「人的余裕を持って運営ができる→そのうえでリスクの高いテレインで大会は行われるべき」であり、言い換えれば「安全管理に人員を割けないならリスクのあるテレインでは開催すべきでない」と言えるのではないでしょうか。あんまり「べき」みたいな強い言葉は使いたくないのですが、ここに関しては自分の経験をもって使わざるを得ません。

大会当日。片付けは暗くなっても続いた(撮影:運営者)

②テレイン選定段階で危険性を確認すること

 上に「リスクのあるテレイン」と書きましたが、リスクってなんでしょうか。古峯ヶ原のような、人里離れたテレインでやること自体が危険を孕んでいるのでしょうか。
 結論から言うと、人里離れたテレインで開催すること自体が危険を孕んでいる、というのは言うまでもないと思います。ただ、それを明文化する必要があると思っていて、たとえば

  • 病院までが非常に遠い(片道60分とか。古峯ヶ原は片道40分だった)

  • 周囲の安全性(大幅にテレインから外れた際に安全にエスケープできるか。今回は滝つぼや急な岩崖があるエリアに遭難者が到達してしまい、これは果たせていなかったと言える)

  • 電波が通じるか

などが挙げられます。
 大会開催に向けて動き出す当初は、自分たちで大会を開催するというワクワク感から危険なテレインであることを意識するよりも楽しさを追求しがちです。
 そこでみんなが一緒になって楽しさ、ロマンを追求するのではなく、
テレインの危険性などを選定段階のフローに入れる
上級生や外部のEAがテレイン選定に関して危険性などを踏まえてアドバイスをする
この2点が求められます。

テレインの北範囲には猿の群れがいて、テレイン中に叫び声が響き渡ったことも

③捜索対象者が助かるかは運、を避けるために

 オリエンテーリングはトレランと異なり、ルートがわからないため怪我したり低体温症で動けなくなったらどこにいるかわからなくなります。上でも書いたように消防や警察が理解に苦戦するのはここです。
 競技エリア内で怪我して動けなくなった場合は、
 ・他の参加者が通るかも
 ・撤収の際に運営者が見つけるかも
 ・捜索を開始したら最初は競技エリアから入るので、見つかりやすいかも
意識を失った場合などでは見つからない可能性はありますが、上記の条件なら比較的捜索対象者が見つかる可能性はあります。(声を出せなくなったときのために笛を持っておくと安心)
 一方、競技エリア外で怪我して動けなくなった場合は上記の条件が当てはまらず、見つかる可能性が大幅に下がります。OLK大会の事例ではテレインから大きく外れ、急峻で滝などもある危険なエリアに入ってしまったためこうなってしまっていた可能性が非常に高いです。
 これを「見つかるかは運」としないためには
→極論、競技エリア外に参加者を出さない、しかできない
と思います。携帯電話を必携にすればいい、という意見に関しては携帯電話の故障や携帯電話を落とす可能性もありそれだけで解決する話ではありませんし、笛を必携にすればいいという話も、捜索対象者が笛を使うのは遭難が発覚した時で手遅れという可能性もあります(まだ大丈夫と思っているときに携帯電話も笛も使わないですよね)。

 参加者を競技エリア外に出さないために(=遭難しうるエリアを限定するために)何ができるか、実際にその後古峯ヶ原で行われた公開練習会での対策を紹介します。

  • 遭難対策のテープ:大会当日には巻かれなかった北側の尾根上に約1kmほど巻かれた

  • 地図の裏にエスケープゾーン、危険なエリアを記載:大会の際はプログラムに記載されていたが、遭難時に思い出せるかとなれば厳しいのかもしれない。8月に開催された中高選手権でも同様の対策が取られていた

 他にも、新入生をランオブ必須にする、関門を設ける、誓約書を提出必須にする、練習会でも出走管理をきちんと行う、などの対策が取られました。この他にもできることはあると思います。運営に携わることがあった場合などぜひ考えていただけたらと思います。

④大会・練習会の安全管理についてもっと意見交換したい

 2章で紹介した渉外先に「オリエンテーリングは危険じゃないです!」ということの裏付けとして様々な大会の報告書を参考にしようと思ったのですが、調べてみると意外と捜索事例や怪我人について記載された報告書ってないんですね。年間どのくらい大けがをする参加者がいて、どのくらい遭難する参加者がいるのか可視化した方が良いのではないでしょうか。また、表には出なくても内部練習会でも大規模な捜索事例が起こることも意外と多いと思います。
 これらを共有しないと自分たちがどのくらい危険なスポーツをしているのか、はたまたその逆か、全く分かりません。
 共有することで運営者だけでなくクラブや参加者の意識を変えることができると思っていて、例えば、大学クラブで新入生の捜索事例がいっぱいあるとしたら新入生教育を考える必要があるだろうし、こういう大けがが意外と多い、と分かれば救護パートはそれに備えた準備ができます。

 オリエンテーリング界は良くも悪くも身内みたいなところがあると思っていて、だからこそ、積極的にトラブルやリスクを共有し、安全管理について話し合っていくべきではと思います。
 
たとえば、○○(県協会、学連など?)が後援する大会は報告書の作成を必須にする、とか複数の大会の運営者が話し合う機会を設けるとか・・・
 とはいえ、私一人ではいきなり大きな話に持って行くことはできず、現在運営好きの若手による「運営について考えるDiscord」を運営しています。ただ、最近はあんまり議論ができていないのと、参加メンバーが5、6人でもっと増えてほしいという思いがあります。
 この記事を見て自分も考えたいと思った方、いやそれ違くねと思った方、何当たり前のこと言ってるんだと思った方も、安全管理についてぜひお話ししましょう!X(旧ツイッター)のDMなり大会会場で声を掛けていただくなりしていただければ招待します。

夜の通洞駅(調査宿の最寄り駅)。終電逃した人みたい

5.まとめと私のこれから

 運営側で考えるべきことはこんな感じだと思います。他にもまだまだありそうですし、オリエンテーリングが自然の中で行うスポーツである以上絶対的な安全など存在しませんが、大会運営では最悪のケースを考えることで(嫌だし現実味がないけれど)減らせる事故もあるのかなと思います。
 そして、安全管理に関する検討は続きます。
 
 今度はOLKの夏場所で高齢の方が競技時間をオーバーしてもフィニッシュに現れず捜索対象になった、しかもそれを笑い話にしていた・・・
 
 参加者が意識すべきこともたくさんあるだろうな、と思ってこの件以降は地域クラブでの安全管理研修、初心者向け練習会などを中心で運営していますが、そのお話はまた次回。

 ありがたいことに来年は既に5つの大会運営に参加することが決まっており、うち3つは役職持ちでの参加となります(運営優先の大学生活のため現在就活はしていません)。
 「なんとなく今まではうまくいっていた」「参加者側の意識でどうにか危険にならず成立していた」、そういう「オリエンテーリング安全神話」はいつか崩壊します。今回のようなことが起こる前に様々な対処や検討を重ねておくのが理想でしたが、それはできなかった。
 だからこそ、これ以上危険なことがないように、そして運営者のモチベーションを守れるように、検討を重ね、助言や対策といった行動に移していくのが自分にできることだと思っています。拙い文章でしたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。

10月に行われた試走。紅葉がきれいだった(写っているのは渉責くん)

※OLK大会裏話

 ちょっと内容が真面目すぎたので、最後にOLK大会の裏話をさらっと紹介しますね。中心の内容はもうおしまいなので、なんか後味悪いなあという方のみお付き合いいただければ。

①中辛食べられない奴は社会で生きていけない
 私は(恐らく)味覚過敏により、大学2年生から中辛カレーが食べられなくなりました。大会の調査飯ではよくカレーが登場したのですが、もちろん中辛は無理だと主張します。中辛食べられる人は甘口も食べられますが、その逆は成立しません。
 そんな私に対してアドベントカレンダーn日目を担当する某同期が発したのが上の言葉。「俺が社会の厳しさを教えてやる」ですって。なんてこった。
 なぜかこの話が大会アンケートに書かれていてびっくりしましたが、この話には続きがあります。
 実は私、カレーは無理なのですがなぜかキムチはいけてしまい、カレー甘口の日の後2日ほどキムチ鍋的な料理を作りました。もちろん反感を買います。が、なぜキムチがセーフなのかは謎です。ごめんなさい

キムチ鍋1日目

②足尾の星空
 調査宿のあった足尾町は山に囲まれていてとても自然豊かで、夜は暗く静けさに包まれます。しかし、調査が行われていた日は大半が曇り。きれいな星空が見られたのは数日でした。
 都会では見られない満天の星空。「北斗七星ってどれ?」と聞いたときに指をさしてみんなで見たのはいい思い出です。

裾野(静岡県)の練習会から帰って来た日の星空。シャッター開いている間呼吸を忘れてしまった

③不毛すぎるM(ミーティング)
 我々OLK44期の特徴としてよく言われているのが、「主張が激しい」「一人一人個性が強い」「協同して何かやっているのが奇跡」と、とにかくまとまりがないことです(のちにこれは筆者を含む一部の傾向だと判明します)。
 そんな我々、しかも現役生は誰もOLK大会の当日を知らない、手探りの状況で立ち上がった当初は、毎週のようにミーティングが行われ、しかも日付を跨ぐことはしょっちゅうでした。
 誰かが話しているときに口をはさむのは当たり前、そこから脱線したり論争になったり、そうかと思えばお互いの意見の良いところを見つけて前に進んだり・・・
 最終的には上級生やOBさんから「今のままだと持たないと思う」「時間の使い方を考えて」と言われてしまい、なんと「どうやったら有効なミーティングができるか」という議論をせざるを得なくなりました。
 そんなわけで非常に非効率・不毛な議論を重ねていたわけですが、言い合いの中で遠慮しない・妥協しない風潮が生まれたり、夜遅くまで頭を動かして議論し続ける人々を見て「この人たちも本気なんだ」と知ることができたので個人的にはこれも良い思い出です。こういう奴のせいで不毛な時間が生まれていました。ごめんね

大会前日。大会翌日もこんな快晴で、青空の下「なんでこんな大変なこと重なったんだろう」「でもそんなもんだったんじゃない」なんて言いながら片づけをした。運が悪かったとか日ごろの行いとかそういうものではないのだから

④なんだかんだ思い出は美化されるもの
 OLK大会以前は日付が変わる前には寝ていた私と、21時就寝だった運責。そんな2人が直前期に深夜2時までスケジュールやプログラムの編集で格闘したり、授業に何度も遅刻したり、体重が減るほど体調を崩したり、管轄外の仕事をせざるを得なくなってストレス・・・
 誰もあんな日々には戻りたくないと思いますが、大会を通して同期と深く関われたのはいい思い出です。①のようなこと、そして①の発言をビデオに撮ってるぞと脅すとか、人間はAIに勝てるのかという雑談、タッパーは電子レンジで使えるのかという議論で論争が起こるとか、凄まじくくだらない言い合い、認識の違いによる喧嘩なんてもうしないだろうなと信じたい
 一軒家での調査生活は言い合いも増えた一方、同期の優しさに本当に助けられました。一緒に料理をしたり、渉外で失敗してストレスで泣いていたときにゆっくり話を聞いてもらったり、一緒に散歩に行ったり、夜の無人駅で遊んだり、夜遅くまで話したり、県道脇で某責任者がダンスしたり
 大会運営の日々の真っただ中にいたときは、絶対美化したくなかったし、しんどすぎましたが、良くも悪くも間違いなく人生で最も濃い時間でした。

筆者。こういう派手な恰好でよく山に入っていた。(撮影:同期)

 ※使用画像のうち記載のないものはすべて筆者撮影。