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いい循環の中に

先月、大阪に行ってきました。



 実は 長女の手術(乳がんの再建手術)があり、その間  猫のお世話をしに行ったのでした。

 一週間ほどの予定でした。

 次男と交代しようということで 後半 わたし担当です。

術後も良さそうだし 退院は早くなるかもと 連絡が来ました。

よかった。


長女の乳がんが発覚した年は 大変でした。思い出しました。
まず、元旦那の肝臓が悪く、
肝臓移植しかないということがおこりました。

 元旦那から 連絡がきました。
肝臓移植したい、子供たちにドナーになってもらいたい、と。

生きようとする気持ちに対して わたしは非情でした。
いや、生きようとする気持ちは 応援します。

でも………。
 正直、子供たちの身体を傷つけたくないという思いの方が強かったです。


 子供たちは、みんな ちょうど いい具合に それぞれ進み始めたばかりでした。

 どう考えていいのか 気持ちの持っていき方がまったくわからなかったです。
子供たちは それぞれ話し合って、
 長男は 家族ができたばかりだったので、
長女が自ら 手を挙げました。
 
その時 自分が人に平等に優しいわけではないことも知りました。
わたしなりに とても悩み、時に 子供と喧嘩にもなったけど、時間をかけて 考え、
子供たちが選ぶことを わたしも ぐっと受け入れて 覚悟をする。そして、その都度 目の前に起きたことを 受け入れて 考え その時 いちばん良い選択、できることの選択をしていく。

わたしは サポートをすることに決めました。
自ら手を挙げた長女を 褒めました。

何も出来ず、
祈るだけって とても苦しいです。

 肝臓移植は 無事 成功し、
今では 長女も 元旦那も 元気にやっています。

この後 わたしは 卵巣がんが見つかり、早期発見で 追加治療もなく、無事 手術も終わりました。

そして、この年の数ヶ月後。

「ごめん。また心配かける。」
と 長女から連絡。
乳がんが見つかったと。

なんていう年なんだ。。

と思ったけど 長女の乳がんも早期発見。
そこで 長女を担当した医師が
長女に お母さんも 卵巣がんで 長女も若くして 乳がんということで 『遺伝子異常』を疑ってくれました。
『遺伝子異常』を調べると 長女は陽性。BRCA2。

そこで
 長女から 
「遺伝子異常の検査しといたほうがいいと思う。担当医から お母さんにも 是非受けるようにって。」
と 連絡をもらい、卵巣がんの術後検診の時に その旨を話すと 即、遺伝子異常外来の医師を紹介してもらったのです。

わたしも 遺伝子異常BRCA2 陽性。

そこから あれやこれやと遺伝子異常BRCA1/2が かかりやすい癌の検査をしたところ、わたしも乳がん発覚。
極めて 稀にみる早期発見だったそうで、
「こんな早くに見つかったのは 珍しい」
と言われました。

まあ、極小さいけど
脇に 転移は見つかったんですけど。

そうして 乳がんの手術は 今年 受けました。全摘です。
ここには なんの苦しみもないです。
むしろ 自分らしい。

放射線治療も経て 今のところは ホルモン剤の服用を5年続けないといけないけど まあ 元気です。


 話長くなります。

それで、
今回は 長女の乳がんの再建手術です。
 彼女は 小さい頃から 何に対しても 前向きで いい意味で諦めが悪い。
好きなことは誰に何を言われようと コツコツやるタイプ。

娘のこと書いてます。
 
長女は 今 漫画を描いてます。

しかし。
この大阪行きで こんなにも わたしもが
生き方を考える旅になるとは。

長女は 術後5日で 退院。
「今から 帰る」
と連絡が来た。

 「帰り 大丈夫?」
と聞くと
「大丈夫」
と返ってきたので タクシーか何かで帰ってくるのかと思ってると
自転車で帰ってきて びっくり。

確かに わたしも そういうタイプなんです。なんだけど 自分はやるけど やってる人は見るのは初めてだったので びっくりです。
友達に あとで話すと みんなに
「さすが みぞの娘!(笑)」
とか言われたりしました。

 わたしは 翌日 帰ることに。
長女と久しぶりに ゆっくり話しました。
「小学生の時 担任の先生に言われたこと覚えてる?」
と聞くと
「覚えてるよ。あんなことはその後も いくらでも言われた。漫画描いて 収入を得る人は ひと握りしかいないとか。でも 描いてるし。収入得てるし。」

ほんと、確かにそう。
彼女は強い。
たくさん泣いても たくさん努力する。
人の言葉は いい意味で 聞き入れすぎない
個人的に思うけど、アドバイスも 、自分の気になるものだけ 取り入れるのでいいと思う。

全く違う考えは 時間に余裕があったり、少し経験してみようと 思えた時 試してみればいい。


その日、
鳥取から 長女の友達が 大阪に遊びに来ていた。
劇場を観に来ていたらしい。
その友達もまた デザイン関係の人だった。
前の会社の同僚だったらしい。

お互い 渡したいものがあるらしく、少し会っていい?と言うので
「全然いいよ」
と話したら
結局 近くのカレー屋さんで 会うことに。
わたしも仲間に入れてくれるということで わくわくしながら 連れていってもらった。

大阪は 今 スパイシーカレーが とても美味しいらしい。

「あ。もう来てる」
という娘の声に 店に入りながら 友達を見た。
不思議。
自然の中にいる人みたい。
そんな感じがした。

その後で もともとは三重県の方で、
長女より 三つ下と知り、飾り気のない綺麗な人ということを感じる。

今は 鳥取で 古民家をリノベーションしてひとりで暮らしている。

長女とその友達は しょっ中、鳥取に遊びに行っていたらしい。
その話は聞いたことがある。

ああ、鳥取行きは
目の前の友達と一緒だったんだなぁ、と思いだす。

娘に任せて カレーを頼む。


とても美味しかったです。
ボリューム大!


ふたりが話し始める。
鳥取に ふたりで通って 結局 その友達は 移住してしまう。長女は 結局 生活は都会で、たまに癒されに行くという形になる。

そして、虫の話にもなる。
長女もわたしと同じく 虫の命も 人の命も 同様に考えるタイプ。

長女が
「蝉が死んでるの見つけて 踏まれないように 横に避けてると そのうち〇〇さん(目の前の友達)待ってくれてたよね」

友達が答える。
「うん、そうそう。」
と にこにこ話す。

え。
わたしも 蝉が道端で 死んでいたら しょっ中 横に避けて歩いてるので 思わず その話をした。
友達が
「わ。血筋を感じる」
と 優しく笑う。

そして、
今年 弱りかけてるクマゼミがいて
病院行く途中だったから 時間なくて なるべく 横に置いてあげたい、と思うのに いざとなると 飛ぶので なかなか捕まえられず そのうち 帰ってくる息子に 連絡して
「曲がったところに クマゼミが倒れていたら 横に置いて欲しい」
とお願いして 置いてもらったことも 話した。

 長女も これを聞いて吹いてた(笑)

親子で 離れたところで 同じようなことしてたんだなぁ。
面白いなぁ。

そして、
次から次へと話は変わる。
次は その友達が 今やっていること。
鳥取で いろんな企画をして 遊んでいるとのこと。

「カレー作ったよ、食べにおいでー」
「歌うたおう」
「ヨガやろう」

あ。そういうの、わたしがやりたいことに近い気がする。 
その友達は 虫は苦手だったらしいけど 今の古民家は ほんと 虫が多いらしい。
でも、その自然の中で暮らすなら 共存していきたい、と思ってるらしく 無駄な殺生はしない、と話していた。

水、火、風の話やら
とても面白くて面白くて。

食い入るように聞いていると
ゴールデンカムイ読んでる?」
と ふたりに聞かれた。
「あー、読んでないな。表紙を本屋で 見たり どこかで聞いたりはしたことあるけど」

ふたりにお薦めされた。
わたしは いつも自分の感覚、触角が動かないと お薦めされて 読みたくても 聴きたくても 見たくても 全然入らないから 自分のタイミングで そこへ入る。
きっと そうなった時は ぐぐっと その世界に 入り込める。

話が進む。

「〇〇さん、微生物好き?」
と わたしが聞くと

「わ!初めての質問だな(笑)えー、初めてだ(笑)」
と 一瞬 あたふたして

「好きです」
と言ってくれた。
ううう、うれしい。


「なにこの会話のやりとり。すっごく好きな空気感」
とつぶやくと ふたりとも笑っていた。
「ずっとこんなんだよね」
って。

〇〇さんが 
「それこそ おかあさん 微生物や宇宙の話しようってなったら 数人いればその人たちと その話をするの。そういうのを ゆるりとやってる」
と話してくれた。

物凄い勢いで 魂が喜ぶ
上昇する。

その友達は 鳥取で
家の外に もあって 陶器も作ってると言っていた。

いい循環の中で生きていきたい」 
という、〇〇さんの言葉がずっと 残っている。

あ。そうなんだよ。
わたしもそうしてたい。
病気はなる時にはなるから、癌だとか そういうことは 別に その時その時 また考える。
負けない。
どんなことしたって ずっと気持ちは幸せになってやるんだから
そう思っている。
それだけに 囚われて生きたくない。

いい循環
そうなのかもしれない。

もう少し 自分なりに探してみたい。
一生 たのしみたい。


帰りに 梨をくれた。


長女が買ってきてくれたパン。
お皿は 長女手作り。
 大阪最後の朝。
 友達がくれた
わたしも一個 おうちに持って帰った。
とても瑞々しくて 甘くて美味しかった。


そして。
長女は 何も教えてくれなかったけど
知らないうちに 仕事増やしていた。
漫画雑誌で 連載を持ち、
ウェブ漫画の連載も持ち、
いろいろと動いていた。

そして、その鳥取の友達も いろいろなことをしていて
新しいことを 始めていて
いろいろコラボする話も 聞いてるとわくわくした。

長女が
話したいことができる人たちと 集えばいい
と話してくれて それも ずっと響いてる。


わたしにはやりたいことがある。
でも まだ少し 悩んでいる。
もう暫くは じっくり 考えるため いろんなものと出会いながら 方向は 定めて歩んでみたい。

まだまだ必要なら寄り道はする。


長く長くなった話を 最後まで読んでいただいてありがとうございます。

お話に お付き合いくださったこと、
感謝します。








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