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大雨に誓ったこと

大雨が降っていたある日のこと。

それは わたしの祖父の様子を見に 実家に行った帰り。

祖父は、祖母が亡くなってから ひとりになって いろいろと考え込むようになっていました。


いろんな出来事を 順追って 書いていきたいけど 出来事によって その場面その場面を切り取って 書いていこうかな、と思いました。

 当時 わたしは 結婚していて 幼い子供三人の子育てと仕事と 目まぐるしく動く日々。

実家までの道のりは 車で 片道1時間ほど。
毎日 会いにこなくてもいい、と 祖父は言うのですが、

わたしと 一緒にいる間の祖父ときたら 毎回 布団に入って 寝ていて ため息をつくこともなく、 ただただ 天井を見上げているのです。

もともと 口数の多い方ではなかった祖父ですが、眠っているのかと思い 覗くと 目を開けているのです。何かを考えているのです。
良いことでないのは 表情を見るとわかります。

祖父の育った家は 地主の裕福な家のようでしたが、祖母と結婚した後は 貧乏なあばら家暮らしでした。
(よければ 祖父のことを書いた記事があるので 読んでいただけると嬉しいです)


祖母との間に 息子と娘(わたしの母)がいるのですが、なんとも自由人なので(笑)
ふたりには任せられない、と 自ら勧んで 食事の用意やら 買い物をしに行ってたのです。心配でしたし。

明かりの入らない暗い部屋で ひとり 何を考えているんだろう、と 祖父の顔見る度 思いました。
だけど 一緒にいる時間は なるべく気を逸らせてあげられる存在でいたいと思い、
聞かれてなくても ひ孫の話などを話して ふざけたりしながら どうにか笑顔を引き出せないかと 一生懸命になりました。

一緒に住まないか、と提案もしましたが 引っ越したくないと言います。 ならば 微塵も面倒くさい顔をしてはいけない、気持ちよく 通って 顔を見に来ることにしよう。

そう簡単なことではなかったんですけど(笑)

朝早くから起きて 子供たちの学校の支度を手伝って 仕事終わって 実家へ車を走らせる。時には 予想外のことも起きるので 往復2時間を 2回行くこともありましたし、他の用事も入ったり。

でもそんなことは 今の祖父には関係ない。できる限りの祖父のことをすること。それだけでいいと思いました。

ある日、祖父が言いました。

「わしが 自殺したら 迷惑かけるんかな」

胸がドクンとしました。

 祖母が亡くなったお通夜の日のこと、わたしの実母の再婚相手(わたしにとっては 義父)が 自殺を図りました。そのことでも 様々なことに巻き込まれたのですが…。そのことは いつか書ける日があれば。

 瞬間、頭の中で 何をどう話して どう接するのがいいのか、と 祖父のもともとの性格や 目の前の祖父の心情や ここのところの様子だとかが 脳内を映像で 物凄い速さで駆け巡りました。

 間をつくると また考えさせてしまう気がして 
「迷惑だよ。迷惑…というか 悲しいよ。わたしが会いに来たいから来てるんだから 毎日来るよ」と 返しました。

祖父が言うには 毎日 来るのも大変だし 死んだ時は 少し迷惑かけるかもしれないけど その方が 早めに みんな自由になると。

実際 確かに 大変ではあるんだけど わたしは 本当にそうしたい、毎日会いに来たい一緒にいたい、と 望んでた。


祖父の『考え事』には わたし達のことやら あと 最も大きな辛い気持ちの芯としてあったのが 祖母のことでした。

 女遊びも多くて祖父は家に帰ってこなくて 祖母が 夜中 ひとりで泣いている姿を 小さい頃 見たことがあります。声を掛けようと思ったけど 掛けてはいけない気もして 眠っているふりをしていた。こっそり見ていた、寂しそうな泣いてる姿。

 お互い 歳をとるごとに 祖父も 家で過ごすようになり、外に遊びに出ることもなくなり、祖母は文句ひとつも言わず 受け入れてました。
二人の間に笑顔はなかったけど。

そういった環境の中で わたしは 人を笑わせるテクニックを身に付けたようです(笑)祖父母や子供たち相手に。

お腹痛いっていうくらい いつも笑わせてました(笑)


そして。そうして自分の我儘に 何も言わず迎え入れてくれた祖母の気持ちを、 布団の中で 薄暗い天井を 見つめて 答えなどないものを 毎日毎日 繰り返し 考えていたようなのです。

その一言を わたしに言ってから 暫く 何度か 同じことを聞いたけど その度 
「いっしょにいよう」と 同じことを答えました。

そのある大雨の日です。

祖父に
「じゃあ 今日はもう帰るね」と 笑顔で帰ったその日。大雨。
車を運転しながら ワイパーマックスで振って 絶対 止みそうにない大雨の中、わたしも 祖父の気持ちをひとつひとつ理解して 自分の中に入れるように考えていたら 泣けてきました。
雨を見ながら 号泣しました。
切ない。苦しい。悲しい。

あ。この大雨は… もしかして…。

うまく伝えられないけど わたしは その時の大雨を見て 「神様が泣いている」と感じたのです。
わたしも号泣していたけど それに気づいた気がして 
「じいちゃんの気持ちもなにもかもわたしが救いたい。もし 神様が泣いてるんなら その涙の理由の悲しいこととか 苦しいこと わたしに すこし分けてください。神様のことはわたしが守ります。祖父のことも。わたしがもっと強くなるから。神様も わたしが手伝うから泣かないで。」
という気持ちになっていました。

そして
「わたしの声が届いたなら この雨を今すぐ 止ませてみせてほしい。そしたら 通じ合えたと思える確認をしたい。その後は 強くなります。誓います。神様の悲しいこと半分下さい」
そう空に向いて 話してました。
車の中でですけど。

そしたら、そしたら、です。
びっくりするほどのタイミングで 絶対止まないだろう雨が ぴたっと止んだのです。しかも 雨雲もどこか流れて 晴れ間も出てます。

それを経験した時は かなり驚きました。
 
通じた。
これもまたどきどきしました。
「とんでもないこと約束したのでは」という怖さもあったけど 誓った思いの方が強かった。

その日からか 神様の存在を信じる信じないは別として 何かそういうものがいるとするならば 力になれる存在になろう、と覚悟ができた日でした。

あとあと 知り合ったクリスチャンに この話をすると
「悪魔と誓いを交わした」と言われたけど
わたしは そういう感じはしなかったので 自分の勘を ひたすら信じることにしました。信頼できる自分になればいい。
行き先など わからなくていい。自分で迷い悩みながら 歩いていく道が決めた道となるから。

ここから わたしの『強さ』が始まります。

祖父は 辛かったとは思うけど 最期まで 頑張って生きてくれました。
少し可愛らしく感じるような認知症になりました。

病院の白い壁のシミを見て
「ここがアメリカだったら 日本は… これか?」と いう祖父には
真っ白い壁が世界地図に見えてたようで 指さしてました(笑) 
「なるほど!」と返したり(笑)
「下に船が来ているよ」と言うので
「あとで見とくから 気にしなくていいよ」と答えたり。

認知症になって 他愛ないことしか会話できてなかったけど 亡くなる数日前、ふといつもの祖父に戻りました。そして。

わたしに 嬉しい言葉を残してくれました。
「おまえは人のこころに寄り添える力をもっているように感じるぞ」
と。

ああ、よかった。
ということは 祖父のこころには 寄り添えてたのかな。まだまだ足りないことがたくさんで できてなかったことを思い出すけど。

あの日のあの大雨が わたしの言葉で 止んだ。あれは自分なりに信じていようと思う。誰になんて言われようと 目の前で経験したことだから。   


それから 何ヶ月かして 祖父の体調も悪化し 呆気なく旅立ってしまったのですが。
景色がこころに残りました。

ときに こんなふうな不思議なことに タイミング良く出会うけど それは通るべきところだから、と 決断と覚悟、あとは 前を向いていく、何があっても。
それを教えられた。

人生の経験って不思議です。
祖父は 今でも時に わたしの夢に出てきます。祖母は夢の中で たくさんの人が流れていく中で すっとわたしの前に現れて 無言で わたしの掌に 何かを握らせました。
何なんだろう。今はまだ それがなになのかはわかりません。


いろんなたくさんの記憶の景色 残ることありますよね。
記憶の細胞は きっと どこかに まだ繋げられていくのだと思います。 記憶の細胞は
人だけでなく 触れ合った自然たちの中にも 残ってるはず。 わたしはそう思っている。切れることのなく紡がれていくものです。気づくと必ず そうなっています。
いつか みんなと繋がると最高にいいですね。

 タイトルの『大雨に誓ったこと』は
こういう思いにいま 繋がっています。綺麗事のつもりもなくて、本気で綺麗事をするのは 本当に本当に 自分の身を削って 相手も気づかないうちにたすける手伝いができてること。それを誓ったんだと思ってます。人間という個体があり、それが邪魔をするけど 神様の半分の手伝いできるような生き方を これから自分なりに進んでいきたい。

おじいちゃん、ありがとう。
あなたと一緒に過ごした日々があったから出会えた気持ちです。



まとまりの悪いものになりましたが、書きたかったひとつのことでもあるので。






  

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