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現代語訳『伽婢子』

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江戸怪談ものの火付け役となった『伽婢子』の現代語訳です。
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記事一覧

現代語訳『伽婢子』 長生の道士(2)

「当時、わたしは十八歳だったが、狩り場で父母兄弟が皆死んでしまったことをつらく思い、山に…

たま
4年前
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現代語訳『伽婢子』 長生の道士(1)

 安房《あわ》国の里見《さとみ》義弘《よしひろ》が武勇で国を治め、次第に勢力が増していた…

たま
4年前
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現代語訳『伽婢子』 伊勢兵庫仙境に到る(5)

 周囲は広い平原で、金色の茎に紺青《こんじょう》の葉の草が多く生えている。葉の形は菊に似…

たま
4年前
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現代語訳『伽婢子』 伊勢兵庫仙境に到る(4)

 庭では見慣れない草木の花が咲き乱れ、まるで二、三月のようである。孔雀《くじゃく》や鸚鵡…

たま
4年前
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現代語訳『伽婢子』 伊勢兵庫仙境に到る(3)

 その屋敷は金を散りばめ、宝玉を飾り、家財は雑具に至るまですべてこの世のものとは思えない…

たま
4年前
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現代語訳『伽婢子』 伊勢兵庫仙境に到る(2)

 一方、伊勢の乗る船は風に吹き流されて南に向かった。昼夜十日ほど進むと少し風が弱まり、あ…

たま
4年前
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現代語訳『伽婢子』 伊勢兵庫仙境に到る(1)

 伊豆《いず》国の北条氏康《うじやす》は、関八州(相模《さがみ》・武蔵《むさし》・安房《あわ》・上総《かずさ》・下総《しもうさ》・常陸《ひたち》・上野《こうずけ》・下野《しもつけ》)を手に入れ、大いに威勢を奮い、世の武勇の誉れが高かった。  あるとき、氏康は海岸に出て遠く南海に臨み、遥かに沖を眺めながら言った。 「その昔、伊豆の浦に流された鎮西八郎(源為朝《ためとも》)は、夕方に鳥が沖に向かって飛ぶのを見て、『きっと海上に島があるのだろう。そうでなければ、夕暮れに鳥が沖に向か

現代語訳『伽婢子』 原隼人佐鬼胎(2)

 その昔、原昌俊《まさとし》は逸見《へんみ》氏の娘を妻にしていた。昌俊は常に諸方を転戦し…

たま
4年前
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現代語訳『伽婢子』 原隼人佐鬼胎(1)

 甲斐《かい》国を治める武田信玄の家臣・原《はら》隼人佐《はやとのすけ》昌勝《まさかつ》…

たま
4年前
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現代語訳『伽婢子』 焼亡定まる限り有り(2)

 奇妙なことだと思いつつも、急いで家に帰った久内《ひさうち》は家財などを持ち運んで別の場…

たま
4年前
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現代語訳『伽婢子』 焼亡定まる限り有り(1)

 西の京(右京)に冨田久内《とんだのひさうち》という男がいた。若い頃から情が深く、慈悲の…

たま
4年前
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現代語訳『伽婢子』 幽霊諸将を評す(12)

 このやり取りを目にした安左衛門《あんざえもん》は不可解に思った。 「そもそもこれは夢か…

たま
4年前
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現代語訳『伽婢子』 幽霊諸将を評す(11)

「もはや遺恨を抱いてはなりません。すべてを水に流しましょう。終わってみれば一夜の夢のよう…

たま
4年前
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現代語訳『伽婢子』 幽霊諸将を評す(10)

「ところで、お前は三河国の牛窪《うしくぼ》を出た後に、武道修行と称して諸国を巡り、四国で尾形某《なにがし》と出会って軍法を伝授され、城の縄張りに関する秘事を得たという。しかし、お前が縄張りを築いた城が今のどこにあるというのか。今川家に嫌われて甲府をさまよい、信玄に召し抱えられて知行をもらい、これを自慢するためにわざわざ駿河に行ったのは若輩者の所業で、世の笑い種《ぐさ》であろう。幸いにも武田家に用いられ、軍法師範の名を盗んで星霜《せいそう》を重ねたが、信玄はいまだに大業を成し遂