創作古語『諏訪国風土記』

 郡四所。伊奈郡、諏方郡、筑摩郡、安曇郡。郷廿一所。
 神社九座。
 寺二所。僧寺、尼寺。
 厩十一所。牧九所。
 南は三濃・参河・遠江・駿河四國の境界、西は飛騨國の境界、東は信濃・甲斐二國の境界、北は越中・越後二國の境界。
 國の大形、南を首とし、北を尾とす。南北四十五里、東西十里。翠峰四面に萬重し、澗渓四方に奔流す。國の最中に諏方海有り、荒霊河と成りて遠江國へ流る。
 諏方と號くる所以は、古老曰へらく、峰谷転続き、澤の数多なるに因りて名称と為せり。
 本は東山道の信濃坂より以東、碓日坂より以西の諸郡を総べて信濃國と曰ひき。其の後、倭根子高瑞浄足姫天皇の世に至りて二國に分ち、諏方國は其の一に居れり。

 伊奈郡。
 郷五所。誣衆郷、伴野郷、小村郷、麻績郷、福智郷。
 神社二座。大山田神社、阿智神社。
 厩五所。牧一所。
 南は三濃・参河・遠江・駿河四國の境界、西は筑摩郡の境界、東は甲斐國の境界、北は諏方郡の境界。
 伊奈と號くる所以は、古老曰へらく、郡を貫流るる荒霊河を治水し韋名部造に因るなり。

 誣衆郷。
 里二所。水附里、檀浦里。
 北は福智郷の境界、西南は伴野郷の境界、東は甲斐國の境界。
 誣衆と號くる所以は、或古老曰へらく、在りし世に高市皇子尊の乳生戸なれば、即ち乳生の衆より横訛るなり。或いは曰へらく、神代より殺生を禁むる紀律あり。故れ、不狩の地に因るなり。或いは曰へらく、河湧多く、激流変はす為付の伏に因るなり。所謂、荒霊河の枝河たる南辺河の濫觴なり。

 水附里。
 土は下の中。
 號くる所以は、古老曰へらく、古代、奥山に悪しき蛟竜住めり。盆雨の又日に里落に到来し、悉尽く土俗を喰ひ殺しぬ。然るに、倭武尊天皇、荒ぶる蝦を征討け給ひし後に巡幸せるとき、此の地に行幸し給ひ、剣太刀にて蛟竜を突き殺し給ひぬ。故れ、蛟竜突と號く。後に改めて水附と曰へり。其の黒き血汐、流れて黒河と成れり。

 檀浦里。
 土は下の下。深山辺なれば土瘠せ、稲を造る事能はず。
 號くる所以は、南辺河の上つ弓山の浦は、檀多く生ふる地に因るなり。
 土俗の曰へらく、古代より弓山の麓の御巫淵に山狗住めり。其の身巨躯にて、大方薄鈍なれども脛白く、扶流神なれば打絶に寄る可からず。時に捕りて会ふ者有れば、房宇滅却し、武萬子断絶す。然れば、此の山に初めて臨まんとする杣人は、先づ山本の社に饋薦奉献り、四肢祓禊て、後に山に入る事得るなり。此、当代に至るまで絶ゆる事なき旧習なり。


【 補足 】
・オリジナル版は小説『フルカミの里』に収録。
  (振り仮名・現代語訳付)
・文中に意図的な間違いを含みます。