現代語訳「玉水物語」(その一)

 今から少し昔、鳥羽の辺りに高柳《たかやなぎ》宰相《さいしょう》という人がいた。三十歳を過ぎても子どもが授からず、どうしたものかと嘆いて神仏に祈っていたところ、その効験《こうけん》だろうか、やがて北の方に懐妊の兆しが見えたため、限りなく喜んだ。
 その後、十月上旬に姫君が生まれた。手の上で玉を扱うように大切に育てられたが、姫君の容姿はあらゆる面において優れ、誠に光り輝くように見えた。
 こうして年月が重なるままに姫君は成長し、十四、五歳になった。吹く風や立つ波に心を寄せて和歌を詠み、漢詩を吟《ぎん》じ、何でもない遊びでもめったにない有様だったので、両親は並々ならずかわいがり、このままでいるのは気の毒なので、いずれ宮仕えに出そうと考えていた。
 姫君の気立ては素晴らしく上品だった。庭の花々が咲き乱れ、四方の山が霞《かすみ》渡って趣《おもむき》深いある夕暮れ、乳母子《めのとご》である月さえという女房をただ一人お供にして花畑に足を運び、花と戯れて無心で遊んだ。

 この辺りは狐が多く住んでいる場所で、折しも花畑に一匹の狐がいて、姫君を目にした。
「何と愛らしい姿なのだろう。せめて時々、あの方の容姿を遠くから見ていたいものだ」
 驚いたことに狐は木陰に隠れ、落ち着きなく思いを寄せた。やがて姫君が帰ると、ここにいても仕方ないと狐は自分の塚へと帰り、座って自分の身体をぼんやりと眺めた。
「わたしは前世のどのような報いで、このような獣として生まれてしまったのだろう。美しい人を見初《そ》めて及ばぬ恋路に苦しみ、むなしく死んでしまうのが恨めしい」
 さめざめと泣き、伏せったまま悩んだ。
「うまく化けてあの姫君と結ばれたいものの、改めて考えると、もし自分と連れ添ったら姫君は間違いなく身を滅ぼしてしまうだろう。両親を欺くことになるだけでなく、類《たぐ》い稀《まれ》な容姿のあの方を破滅させてしてしまうのはかわいそうだ」
 あれこれと思い乱れる狐は、食事を取らぬまま日々を過ごすうちに疲労がたまり、伏せがちになってしまった。しかも、ひょっとして姫君に会えるかもしれないと、よろめきながら花畑に出ては人に見つかり、石礫《いしつぶて》を投げられて傷を負い、矢を射かけられ、ひどく心を焦がす様は誠に不憫だった。
 狐はなかなか露《つゆ》や霜《しも》のように死ぬことができない自分の命をつらく思い、「どうにかして姫君のそばで朝夕顔を見て心を慰めたい」と思い巡らした。

 とある家に、息子は何人もいるものの娘はおらず、「たくさんいる子どもたちの中に女の子が一人いたらよかったのに」と毎日嘆いている夫婦が住んでいた。
 これを知った狐は十四、五歳の美しい娘に化けて家を訪ねた。
「わたしは右京の辺りに住んでいた者です。縁者が一人もいなくなり、頼むべき人がいないまま足に任せてさまよってここまでやって来ましたが、行くべき場所がありません。どうかお助けください」
 男の女房が娘を見ながら答えた。
「何と気の毒なことでしょう。とても普通の人とは思えない姿なのに、どうしてこのような場所まで来たのですか。いっそのこと、わたしたちを実の親だとお思いなさい。息子はたくさんいても女の子は一人もいないので、以前からずっと欲しいと思っていたのです」
「そのお言葉、とても嬉《うれ》しく思います。どこを目指して行ったらいいものかと悩んでいたのです」
 夫婦はとても喜び、娘を家に住まわせてかわいがった。

 夫婦はどうにかしていい相手と結婚させようと機会を設けた。だが、娘は少しも相手に打ち解ける様子がなく、しばしば泣くので、夫婦は慰めながら尋ねた。
「もし好きな相手がいるのなら、わたしたちに包み隠さず話してくれませんか」
「決してそのようなことはありません。つらい身の上を思い悩み、このように陰鬱《いんうつ》な有様ですので、人と結婚することなどまったく考えておりません。ただ、愛らしい姫君のそばにいるような宮仕えがしたいと思っています」
「以前からいい殿方と結婚させようと思っていましたが、そのように思っているのでしたら、ともかくこれから話すことはあなたの気持ちとは違わないでしょう。――高柳殿の姫君こそ身分が立派で優美な方です。わたしの妹が高柳殿のお屋敷で仕えていますので一度聞いてみましょう。悩み事があったら、どんなことでもわたしたちに相談しなさい。あなたに悪いようにはしません」
 これを聞いた娘はとても嬉《うれ》しく思った。
 このように語らっていたところに、ちょうど女房の妹がやって来たので事情を説明したところ、それなら話をしてみようということになった。屋敷に戻った女房の妹が姫君の乳母に話すと、「それならすぐに参上させるように」と承諾したため、夫婦は喜んで身支度を調え、娘を屋敷に送り出した。
 娘はとても愛らしい容姿だったので姫君も大いに喜び、「玉水の前」と名付けられた。
(続く)

【 原文 】 http://www.j-texts.com/chusei/tama.html


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