現代語訳『伽婢子』 幽霊逢夫話(2)

 時は秋も中頃で月は明るく、爽やかな風が吹き、壁で蟋蟀《こおろぎ》が吟じ、草むらでは虫たちが集まって鳴いている。折に触れ事に触れ、露《つゆ》と涙が置き争い、枕を調えても眠ることができない。
 既に夜が更けた頃、女の泣く声が微《かす》かに聞こえ、次第に近づいてきた。耳を澄ますと妻の声に似ていた。
「もし我が妻の幽霊なら、必ずもう一度逢《あ》いに来るはずだ。娑婆《しゃば》と冥途《めいど》に隔てがあるとはいえ、生前に交わした深い契りは死んでも忘れない」
 やがて女が窓の近くにやって来て告げた。
「わたしはかつてあなたの妻だった者です。黄泉路《よみじ》に行っても悲しみ嘆くあなたの思いが耐え難く、今宵、こうして参りました」
 忠太《ちゅうた》は涙を流して言った。
「どうして心の内で思っていることを筆で書き尽くせよう。歌に連ね、詩に作ったとしても、言の葉の末には残りも多い。願わくは、もう一度姿を見せて逢《あ》ってくれないか。そうすれば何の恨みもない」
 熱心に訴え掛けると妻は泣きながら答えた。
「人の生きる世と黄泉路《よみじ》は道が異なるため、お逢いするのはとても厳しいです。それにもし姿を現して顔を合わせると、あなたもいぶかし怪しむに違いありません」
 いよいよ悲しく思っていると、妻が余志子《よしこ》という女童《めのわらわ》を伴ってうっすらと姿を見せた。
 忠太は余志子《よしこ》に尋ねた。
「お前は確か三年前に、故郷に帰った後に亡くなったと風の便りに聞いていたが、どうしてやって来たのだ」
「主様がどうなさっているか起き伏し案じておりましたが、思い掛けぬ病を患い、故郷に戻っても容体が悪くなる一方で、結局死んでしまいました。黄泉路《よみじ》で後から奥様がいらっしゃいましたので再びお仕えし、付き添いとして参りました」
 灯火《ともしび》を手に屋敷の中へ呼び入れると一人の老女がいた。何者かと聞くと妻が答えた。
「これはわたしの乳母です。わたしが死去したことを悲しみ、今はもう頼みにする人がいないと身を投げて亡くなり、今宵、一緒に来ました。――人の気《き》は生きているうち陽《よう》で、死ぬと陰《いん》に帰ります。道が隔たり居場所が変わっても、あなたを思う心は変わりません。あなたの誠実な情愛に感じた冥官《みょうかん》に、いま少しの暇《いとま》をいただきました。千年に一度の逢瀬《おうせ》を嬉《うれ》しく思うものの、やがて別れなければならないことを思うと悲しくてなりません」
 語りながら流す涙は、さながら雨のようであった。
(続く)

 死去した主人公の妻は、冥官(冥土の役人)に少しの時間をもらって現世に幽霊として戻って来ました。気の考え方や死後の世界観が他エピソードと共通しているのが分かりやすいと思います。

 続きは次回にお届けします。それではまた。

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