現代語訳『伽婢子』 夢のちぎり(2)

 この店に一人の娘がいた。年は十八前後でまだどこにも嫁いでおらず、座敷に続く一間《ま》の部屋に住んでいた。裕福な家だったので多くの歌草紙《うたぞうし》を買い与えられ、手跡《しゅせき》はそれほど優れてはいなかったものの、流麗《りゅうれい》な文章を書いた。また気立てが優しく、情趣《じょうしゅ》を好んだ。
 娘は座敷にいる左近を一目見て心を躍らせ、几帳《きちょう》の隙間から覗《のぞ》いたり、相手の顔を見ながら姿を見せたり、几帳から出たり入ったりして、恥ずかしさも忘れて恋い焦がれ、艶《あで》やかに振る舞った。一方の左近も娘の光り輝くこの上ない容姿に魅了され、相手の袂《たもと》に魂が入ってしまったように感じた。
 二人は互いに好意を抱き、視線を交わし合ったが、一言も言葉を掛けることはなく、日が傾くと左近は暇乞《いとまご》いをして座を立ち、船に乗って屋敷に戻った。しかし、その後も娘の面影だけが秋の風のように身に染み渡り、独り寝の床《とこ》の上に知らぬうちに涙が零《こぼ》れ落ちた。
(続く)

 主人公は酒屋(酒場)で美しい娘と出会います。二人は互いに好意を抱きましたが、声を掛けるきっかけのないまま別れてしまいました。

 続きは次回にお届けします。それではまた。


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