現代語訳「玉水物語」(その九)

 その後、養母が再び物の怪《け》の発作を起こしたため、家族が集まって嘆いていたところ、やがて少し落ち着いて寝たので皆少し安心した。
 夜更けになり、人々が寝静まって玉水だけが起きていたところ、一本も毛のない禿《は》げた古狐《ふるぎつね》がやって来るのを目にした。よく見るとそれは玉水の父方の伯父《おじ》だった。
 玉水が立ち去る伯父を追い掛け、二人が屋敷から遠ざかると、養母は落ち着いた様子でまどろんだ。

 玉水と伯父は互いに再会をいぶかしんだ。
「これは思い掛けないところで会ったものだ。いったいどうしたというのだ」
「伯父《おじ》さま、わたしはささやかな縁がきっかけで、あの屋敷にいる病人を親として頼みにしています。ここから立ち退いて、あの方を苦しめるのを止めてくれませんか」
「それはできぬ相談だ。あの病人の父親は、儂《わし》の大切な子をさしたる理由もなく殺した。思い知らされるのは当然のこと。儂もあやつの娘を苦しめて命を奪い、悲願を全うするつもりだ」
「確かにおっしゃることはもっともですが、これは法華経《ほけきょう》の『化城《けじょう》喩品《ゆほん》』という教えに反します。業《ごう》に引かれるまま六道《ろくどう》に迷い、元の三悪道《さんあくどう》に戻ることは、身から出た煩悩《ぼんのう》の焔《ほむら》そのものです。わたしたちは畜生《ちくしょう》ですので、まだ多くの業因《ごういん》を抱えていますが、そうはいっても善行を積めば、きっと今度は人の身体で生まれ変わるはずです。そもそも、人の身体は仏の骸《むくろ》です。心が正しければ、どうして次の世で仏にならないことがありましょう。この仮初《かりそ》めの世で、いっときの復讐《ふくしゅう》の念に駆られてあの人を殺してしまったら、その罪だけでなく、多くの人の悲嘆を一身に受けることになります。この世のすべては報《むく》いによるものですので、伯父《おじ》さまは儚《はかな》くも猟師の手に掛かるか、そうでなければ三悪道《さんあくどう》に戻ることになるでしょう。そうならないためにも、どうかここから立ち去ってあの方をお助けください」
(続く)

【 原文 】 http://www.j-texts.com/chusei/tama.html


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