『とりかへばや物語』を知っていますか?

海外の映画を鑑賞する場合、何も手を加えていないオリジナル版で見る人もいますが、多くの方は日本語の字幕や吹き替えで見ていると思います。
オリジナル版でなくても映画は楽しめます。作品の言語が理解できないのなら、翻訳したものを見ればいいのです。

古典(古文)も同じです。「原文で読まないと意味がない」ということは絶対にありません。分かりやすくかみ砕いたものがあるのなら、それらを読んで楽しめばいいと思います。

今回、ご紹介する『とりかへばや物語』も古典の一つで、読みにくい古文で書かれているためにあまり知られていませんが、実は面白い内容の作品で、しかも二次創作や現代語訳などが一通りそろっています。

以下、ネタばれにならないように注意しながら、作品の概要と関連書籍をご紹介します。

1. どんな作品か

『とりかへばや物語』は『源氏物語』や『枕草子』などと同じ日本の古典ですが、ややマイナーな作品のため、初耳の方もいるかと思います。

一言で説明すると、

平安貴族の恋愛物語で、「男装の麗人」や「男の娘」、あるいは「男女キャラの入れ替わり」といったジャンルの祖

になります。
そう、実はちょっと変わった古典作品なのです。

1.1 序盤あらすじ

平安時代、ある貴族の男のもとに生まれた二人の兄妹。
少年のように活発な妹と、少女のように淑やかな兄は、本来の性とは異なる外見のまま成人し、周囲に真相を隠したまま社会に出ることになります。
妹は青年貴族として政治に参加し、兄は女東宮(女性の皇太子)に女房として仕え、人々と関わり合いながら成長していきますが、程なく自分たちの特殊性を自覚し、苦悩するようになります。
そのような状況下、妹の元に縁談(女性との結婚)の話が持ち込まれたことで、物語が大きく動き始めます。

ちなみにタイトルの「とりかへばや」は、現代語に直すと「取り換えたい」という意味で、主人公たちの父親が「二人を取り換えたい」と悩んだ言葉から来ています。

1.2 作品の特徴

『とりかへばや物語』の最大の特徴は古典らしからぬエンタメ性で、現代小説としても通用するキャラクターやストーリーで構成されています。

性別を偽った主人公の兄妹(今で言う「トランスジェンダー」)の設定があまりにも強烈で、どの解説書を読んでも作品の代名詞としてクローズアップされますが、それを抜きにしても魅力的な人物造詣で、あらゆるキャラクターたちが生き生きと動きます。
古典作品はしばしば、ストーリーの重要なポイントで「神秘」や「偶然」などの強制イベントを使って登場人物たちを動かしますが、『とりかへばや物語』はそういったものにほとんど頼らず、一人一人が悩み、苦しみ、自分の意志で行動した結果として物語が紡がれていきます。

また、ストーリー展開が非常にスムーズで、読者を飽きさせない作りになっています。
見方を変えると、『源氏物語』などと比較して衣装や仕草、心理などの描写があっさりしており、人によっては表現の深み(≒文学性)が物足りないと感じるかもしれません。しかしながら、エンタメ寄りの本作において、重厚な表現よりもストーリー進行を優先したのは正解だったとわたしは考えます。

少し文学史寄りの説明をすると、『とりかへばや物語』が成立したのは平安末から鎌倉時代の初め頃と言われ、当時に流行した「擬古《ぎこ》物語」というカテゴリに属する作品です。ざっくり言うと、二百年ほど昔に書かれた『源氏物語』をテンプレにした平安ものの二次創作ですので、両者を文学性で比較するのはほとんど無意味です。
むしろ、前時代の『源氏物語』が描けなかった、自由意志で行動する人々のたくましさや葛藤を感じ取るのが『とりかへばや物語』の一番の楽しみ方だと思います。

2. 何を読めばいいのか

原作は古文(古語)で書かれているため、通常は何かしら手を加えたものを読むことになります。
『源氏物語』のような誰でも知っている超メジャーな古典作品ではないものの、多少の知名度はありますので、関連書籍の入手はそれほど難しくはありません。
また、初めての方は、読みやすく現代風にアレンジされた二次創作から入るのも手だと思います。

2-1. 二次創作

『とりかへばや物語』が扱ったトランスジェンダーや(疑似)同性愛、「男女入れ替え」などのアイデアは様々な作品に取り入れられており、影響を受けたタイトルは枚挙にいとまがありません。
ここでは『とりかへばや物語』の原形をある程度とどめている、三つの二次創作ご紹介します。

1) 【小説/コミック】『ざ・ちぇんじ!』(氷室冴子/山内直実)

ときは平安、ところは京の都。
りりしい姫君と可憐な若君が繰り広げる恋のから騒ぎ。
(※小説版の帯から引用)

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恐らくもっとも多くの人が知っている『とりかへばや物語』で、作品を世に広めた一番の功労者です。

少女向けに性的描写や鬱展開を徹底的に排除し、ハッピーエンドのストーリーに変更した二次創作で、原作を限界まで簡素化・記号化したアレンジと言えます。

何よりも楽しく・気持ちよく読めるのが最大のセールスポイントで、最初に読む『とりかへばや物語』としてとてもお勧めです。まずは『ざ・ちぇんじ!』を読んだ上で、もっと知りたいと思った方はぜひ原作を手に取ってみてください。大人向けの設定・結末で二度楽しめます。

同名作品には小説版コミック版がありますが、コミック版は小説版にかなり忠実ですので、お好みの方をどうぞ。(わたしはどちらも好きです。)

【 原作忠実度:50% 】

2) 【コミック】『とりかえ・ばや』(さいとうちほ)

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『とりかえ・ばや』は作者自身が「改変をかなり加えた」と言っているように、ごく基本的な設定は踏襲しているものの、全体にわたって作者の手が入っているオマージュ作品です。

一番の特徴は、原作には存在しなかった「悪意」を作品世界に持ち込んだ点で、ライバルが主人公を陥れるために暗躍したり、宮廷クーデターが発生したりと、サスペンス要素を加えた独自のストーリーになっています。
また、恋愛要素を増やすためにキャラクターの設定や性格もかなり変更が加えられ、「運命にあらがう少年少女たちの成長と恋」をテーマとした分かりやすい少女マンガになっています。
(原作から大幅に改変されているため、別作品と見なした方がいいかもしれません。)

なお、『ざ・ちぇんじ!』や田辺聖子の二次小説(後述)が小中学生でも読める内容なのに対し、『とりかえ・ばや』はやや年上のハイティーン以上が想定読者ですが、性的なシーンはかなりソフトに描かれています。

【 原作忠実度:20% 】

3) 【小説】『とりかえばや物語』(田辺聖子)

 秋月は、ようやくこのころになって、生まれついての自分のふしぎなくせ(女の子になりたい気持ち)が、どれほど父を苦しめてきたか、わかるようになっている。しかしやはり、男の姿になって、男の人生を歩むことは恐ろしくて悲しくて、できそうにない。――ほんとは不自然なことかもしれない、とも思うし。
(お父さまに申しわけないわ。なんでこんなふうに生まれついたのかしら……)
 と思うし、しぜんとしおれてしまう。

ほぼ原作に準じたストーリー展開・設定ですが、作者独自の固有名詞や心理描写、台詞回しなどを追加して再構築した二次創作小説です。少女向けの文体や内容が特徴で、性的なシーンも割愛されています。
(上で引用した箇所も原作には存在しない、作者のオリジナルです)

【 原作忠実度:70% 】

2-2. 原作の現代語訳

原作リスト

上記は原作の現代語訳を収録している主な書籍の一覧です。
『とりかへばや物語』は底本(=現存するオリジナル)間の差異がほとんどなく、また補足説明(和歌や『源氏物語』などの予備知識)がなくてもストーリーを追うことができますので、初めての方は現代語訳の読みやすさや入手のしやすさで選べばいいかと思います。

個人的には「小学館 新編日本古典文学全集」「講談社学術文庫」をお勧めします。どちらも現代語訳や解説が丁寧で読みやすく、(個人的な解釈違いは若干あるものの)気になるような誤訳もありません。
新本はやや入手しづらくなっていますが、文芸書が充実している書店では見掛けます。また、古書での入手はそれほど難しくはありません。

なお、現代語訳のみかつ電子書籍でも構わないという方は、わたしの現代語訳を選択肢に入れてもらえると嬉しいです。
(※Amazon Kindle、Kindle Unlimited利用可能)

参考情報として各書籍の現代語訳の一部を引用します。(ダイジェスト版になっている「角川ソフィア文庫」のみ該当箇所の訳がないため、異なる箇所から引用)

1) 小学館 新編日本古典文学全集(石埜敬子 他) ※原文+現代語訳+注釈

姫君はひどくきまり悪そうに恥じ入っているご様子で、汗を浮かべて、上気したお顔の色は紅梅が咲き出したように艶やかに輝いて、今にも涙がこぼれおちそうに見える目もとが、いかにもつらそうなので、殿ご自身もいよいよ涙にくれて、しみじみと、ほかのことはすべて忘れて、いとおしく見申しあげていらっしゃる。

2) 講談社学術文庫(桑原博史) ※原文+現代語訳+注釈

姫君はたいそう恥かしげに思い込んでおられる風情で、汗をうかべ、お顔の色も紅梅の咲き出したようにつややかになり、涙までも落ちそうな目つきが、いかにも悲しそうなので、父君は自分まで涙をさそわれて、ひたすらほかの事もわすれてじっとお見守りになっておられる。

3) 笠間書院 中世王朝物語全集(友久武文 他) ※原文+現代語訳+注釈

姫君はひどく恥ずかしがって困り果てておられるご様子で、汗をかき、そのせいで上気したお顔の色は紅梅が咲き乱れたようにつややかで、今にも涙がこぼれそうに見える目もとがとてもつらそうなので、殿も涙を誘われて、じっとそのまま姫君のお顔をしんみりと見つめ申し上げておられるばかりである。

4) 水谷悠歩(Amazon KDP) ※現代語訳のみ

姫君はとても恥ずかしげに、思い詰めた様子で汗を浮かべた。上気した顔は咲き出した紅梅のように端麗で、今にも涙が零れ落ちそうな目元がいかにも悲しげに見える。権大納言は涙を流しながらすべてを忘れ、不憫な姫君をただひたすら見つめた。

5) ちくま文庫(中村真一郎) ※現代語訳+一部注釈

姫君は恥ずかしさに堪えられぬ風情で、上気した顔の色は紅梅が咲き出したようにつややかだが、涙のこぼれ落ちそうな目もとがいかにも悲しそうなので、大将もいっそう涙をさそわれて、ただひたすら哀れに思う。

6) 角川ソフィア文庫(鈴木裕子) ※あらすじ+抜粋した原文・現代語訳

それどころか父の殿に対しても、親しめないで恥ずかしいとお思いになるばかりで、殿が、おいおい漢籍を学ばせ、男子としての教養などもお教えになるのに、ご本人はまるでその気がなく、ただひどく恥ずかしいとばかりお思いになって、御帳台の中に籠もりきっては、絵を描き、雛遊びや貝覆いといった遊びをなさる。

『とりかへばや物語』の紹介は以上になります。
ここまでの長らくのお付き合い、誠にありがとうございました。

以下、PRです。
男装・女装を扱った他作品の紹介や、起源に関する考察を別エントリーで書いています。

下記は『とりかへばや物語』の成立時期に関する考察です。ややマニアックな内容ですので、興味がある方だけどうぞ。


また、エンタメとしても楽しめる、読みやすい古典作品の訳をKindleストアで販売しています。


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