現代語訳「我身にたどる姫君」(第一巻 その1)

 移ろいゆく四季折々の景色をつれづれと眺めるのが、姫君の心の慰めだった。
 古歌のように空を行く月を慕っているわけではないが、西の山の端《は》に目を向けると、都へと続く心の道までもが閉ざされた気分になり、その上、幾日も降りやまぬあいにくの雪に、来《き》し方《かた》行く末までもが暗くなってくる。
 もの悲しい夕べの空の下、踏み入った跡のない雪の庭を端《はし》近くで眺める姫君の容姿は、この寂しい深山《みやま》で雪に閉じ込められている者には見えず、もったいないほどに見事である。
 そのような姫君をいくら見ても見飽きることはなく、荒々しい風さえ恐ろしいと感じる尼君の心ばえが、姫君にはしみじみとありがたくも頼もしく、たとえ自分が何者なのか分かったとしても、愛情の深さが変わるわけではない。しかし、そうは言っても出自が定かではないのはやはり不安であり、心中で人知れず深く悩んでいた。
 何一つ不安なところのない、互いに頼り合うごく普通の人間関係が羨《うらや》ましいと改めて思いつつ、姫君は歌を詠んだ。

  いかにしてありし行方《ゆくへ》をさぞとだに
  我身《わがみ》にたどる契りなりけむ
 (何とかして自分の生い立ちを知りたいと、苦悩し続ける運命なのでしょうか)

 物思いで気がふさいだ姿はまったく似つかわしくなく、他に類を見ない可憐な器量でありながら、心の内で思い乱れる様は誠に不憫だった。
(続く)

 まだ見ぬ都に淡い憧れを抱きつつ、雪に閉ざされた山奥でひっそりと暮らす美しい姫君。保護者である尼君との生活にそれほど不満はないものの、自分の素性が分からないことを苦悩しているシーンから「我身《わがみ》にたどる姫君」は始まります。
 この姫君こそが主人公「我身にたどる姫君(自分の出自を知りたい姫君)」であり、作品のタイトルにもなっています。
 ちなみに、ここでは西の方角に都がある山としか表現されていませんが、京都と滋賀の県境に位置する音羽山《おとわやま》が舞台になっています。

 それでは、また次回にお会いしましょう。


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