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日記 2024年第5回

■月曜日
仕事の合間にコンビニに行き、ほうじ茶ラテを購入する。執務室の休憩スペースで啜ると、ほうじ茶の味を思い出した。ほうじ茶ラテでほうじ茶の味を思い出すのは、なんというか本末転倒に思えて、一人可笑しくなる。
ほうじ茶ラテを飲みつつ自己啓発本を読み、その内容に感心する。自己啓発本は玉石混淆で、要するに啓発を目的としているから、内容が酷いものだと悲しい目に遭う。今回のは玉の方だったので、しっかりと読み通して糧にしたい。

■火曜日
再三言っていること、「今日の晩ごはんを考えるよりも考えるべきことは、そうそうない」。この思考を悩みが浮かんだときに意識するようにしたら、随分とラクに生きられるようになった。
仕事の合間に飲んだいちごミルクが美味しかった。いちごミルクのいちご味は、嘘臭いけれど嫌ではない。

■水曜日
朝、通勤路で集合住宅の脇を通るのだけれど、ふと目をやると、塗装の剥げた柵と、そこに立て掛けられた脚立、鳥の糞が染みてまだら模様になったアスファルトや誰のものとも分からないタオルが引っ掛けられた自転車などがあり、手つかずの都会を感じた。なんとなく、使い捨ての紙コップを思い出した。関連や共通は、不明。

■木曜日
週末に観た映画の影響からか、丁寧に暮らすように意識している。毎朝5時半に起きて散歩して、コーヒーを飲んでから1日を始める。出勤前に軽く家の掃除をして、終業してからはのんびりとできる趣味(読書やゲーム)に興じる。こうして1日を上手く過ごせると、日々自己肯定感のようなものが積み上がっていくのがわかる。結局、自分で自分を褒められるようにならなければならない、ということなのだろう。

■金曜日
今日も5時半起き。散歩のために外に出て、まだ暗い空に雲が張っているいることがわかり、嬉しくなる。日が昇る前でも、曇りだとわかるものなのだ。小学生でも気づいていそうな事実に、大人になってから気づくのは、純粋さをつかの間に取り戻せたような気がする。
少しだけイライラとする事案があり、それをすぐさまネットに書こうとして、踏み止まる。いいねが貰えたとて、負の感情を肯定してもらうのは、単にイライラを増幅させるだけだから良くない。イライラしたな、という事実を見つめて、イライラするほどのことでもないでしょう、と理屈を捏ねてどうにか自分を宥めて過ごした。

■土曜日
休日も5時半に起床して朝散歩。太陽が昇ってくる時間まで歩き、太陽に向かって軽く手を挙げる。大いなる存在と仲良くなれたような気がして、嬉しい。嬉しいことが多い毎日だ、と思う。もしかしたら、加齢のせいかもしれない。前日にイライラしたと書いているくせに、翌日にはこんなふうだから、やっぱりすっかり寝て忘れてしまうというのは、生活における大切な浄化作業なのだな、と思う。

■日曜日
今日は雨降り。小雨だったので朝散歩は取りやめにせず。日の出の時間になっても暗く、雲が厚いのが分かる。いつも通りコンビニでコーヒーを買い、それを飲みながら帰宅。帰宅後はモーニングの時間帯まで小説を執筆する。原稿を書き進めたのち、映画館のある町まで向かう。最寄り駅の前のマクドナルドで朝マックをいただき、あらためてグリドルの美味しさに浸る。ここでもコーヒーを頼んでしまい、お腹が苦しくなってしまう。映画は大変に面白く、終始笑いっぱなしだった。こういういい映画を見ると、映画の面白さだけでなく、映画を面白く感じられる自分を面白く感じて、二重で面白くなってしまう。

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