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新宿西口の交通整理で、思ったこと

私は平日、新宿西口の某ビル内の職場に通勤していて、小田急線の地下の西口改札を利用している。最近の新宿西口は開発工事の影響であちこちが塞がれており、大変歩きにくい。工事中の建物や柱にカバーのようなものをぐるぐる巻きにしてあるせいで見通しが悪く、突然飛び出してくる(ように感じる)人とぶつかりそうになることがある。ただでさえ大勢が行き交う駅である。そういう動きを目にして、交通整理が必要だと考えたのだろう。朝のラッシュ時には、小田急の改札を出たところにたくさんの交通整理員が配置されている。

交通整理の人を、毎朝通りすがりに見るでもなく見て気が付いたことがある。ある朝の交通整理員は「右側通行にご協力お願いいたします」のプラカードを片手に持って、それと同じ文言「右側通行にご協力お願いいたしまーす!」と叫びつつ、もう片方の手で左側を塞ぐそぶりをしながら右に誘導しており、別の朝の交通整理員は、通行人に通ってほしい右へ腕を振って誘導はするけれど、ほぼ声は出さない。他の朝は、声は一切出すことなく、ただプラカードを掲げて立っているだけだったりして、なんとも個性豊かである。

この交通整理員の皆さんが、どのように交通整理するよう指導されたのか、私には知る由もない。ぶつかるなどの事故防止のため、歩行者にしっかり右を歩いてもらうよう、声と身振りで右側通行を徹底するよう言われているのか、はたまた、通行人が別に右を歩こうが左を歩こうが実はどっちでも構わないのだけど、事故が起きた時の責任回避のために、そこに交通整理員を配置したという事実が重要なので、まあなんとなく頼むといった程度の指導なのか、わからない。けれど、おそらく全員が同じ指導を受けたであろう交通整理員は、それぞれの交通整理の仕方でそこに立っている。

私はその状況に特段不満はない。そもそも朝の通勤時には、誰もが周りを気にする余裕がない。交通整理の人を気にしている通行人はほぼおらず、その場の判断や毎日の習慣で、目的地へ突き進んでいる。強めに右側へ促されても、左側通行を選択する人は一定数いるし、それぞれの向かう方へ、それぞれが不規則な動きで向かうのだから、交通整理の甲斐がないだろうと、少しばかり同情する。なんなら、交通整理の意義すら疑いつつ立っていてもおかしくないと思う。

私の関心事は「同じ言葉を受けても、受け取り方や個人の気質や事情の違いで、こうも最終的な行動に差が出るものなのだ」という当たり前の現実だ。人間は同じ指示や指導を受けても、指示指導側の意図した動きをしないものである。交通整理の仕方もそれぞれ、通勤する人々の交通整理への反応もそれぞれで、よほどの強制力がない限り、そんなものだし、それで良いと思っている。

そんな人々を見ながら、最近のSNSのことを考えた。皆がそれぞれの言葉を紡ぐSNSにおいて、よほど露骨でない限り、善悪の判断は難しい。その言葉を紡いだ人間の背景や事情は想像できても、正解ではない。受け取り手にどう受け取られるかは受け取り手それぞれに委ねられる状況にあり、発信した人の思いとは全く違うムーブになることも、大袈裟に言えば、いやここまで来れば全く大袈裟ではなく、覚悟して書き込むくらいがちょうどいいのかもしれない。人は良くも悪くもそれぞれである。起きる現象も、その書き込みやその人物それぞれであるということを、受け止めて咀嚼した上で発信した方が無難である。

前段にも書いたが、交通整理員に関して、私は内情を全く知らない。想像で書いている自分、「知らないということすら、知らない」自分を、自覚した上で書いている。知り得る立場じゃないのに、書くことはある。「本当は知らないことなのに、知っているつもりになる」ことが誤解を生みやすいし、意図せぬクソリプや炎上をスルーできる精神状態かも考えて投稿する。私ごときが書いた、個人攻撃でもなんでもない感想文のようなこの文章にも、いくばくかの負荷を感じているのだから、ホント馬鹿らしいったらない。とんだ世の中になったものである。

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