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空き家銃砲店 第四話 <廊下>

店からは家族が住む部屋につながる廊下が見える。店舗兼用の家の多くは境(さかい)にのれんをかけて内と外をわけるのだが、祖父はかけなかった。

廊下の床は木だ。入って右手には押入れ、左手の突き当りは洗面所になっていた。

開き戸の押入れには蒲団が入っていた。私の記憶にある限り、祖父は仏間、祖母は居間、二人は別々に寝ていた。「いびきがうるさいんだよ」とかなんとか言っていたような気がする。布団の上げ下ろしは祖父の仕事で、祖父の死後、祖母は洋間を模様替えしベットを入れた。この一件が祖母のリフォームという新しい趣味を開いたのかもしれない。

廊下はフックが打ち付けられ、ここに祖父のもうひとつの趣味、カメラや水色のハエたたきがぶら下がっていた。祖母が外套(がいとう)と呼んでいた祖父の狩猟用の重いオーバーも。

オーバーの表地は帆布、いわゆる厚手の平織の木綿で、襟と内側にボアが張ってあり、暖かいのだが重い。その重さに耐えられるよう、襟の内側のハンガーループ(襟つり、ジャケットをつりさげるときに使うらしい。)は布のループではなく、がっしりとした金属のループがついていた。

いかんせん、背の高い人物が自分の使いやすい場所に取り付けたのであろう、やや高い場所にフックがあり、身長160センチの祖父でも使いにくかった。もちろん、152センチの祖母にはハエたたきも「とれないだよ」。

おまけ

<K.F.C.>のロゴが入ったオーバーは祖父の死後25年ほどたった、平成21年(2009年)あたり、幼稚園の送り迎えの時に着た。子どもが通っていた園は「保護者本人が、バスが到着する5分前にはバス停でお子さんと手をつないで、待っていてください。」がルールで、風が吹き付ける場所で寒いことこの上ない。

<まずは実家を探してあるものを使う>性格の私はなんでも取っておく家を家探しし、このオーバーを見つけたのだった。2年ほどもったと思う。祖父と私は身長はおろか、同じような体型だっただったのである。


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