空き家銃砲店 第三話 <猟銃>
一見普通の家だが実は銃砲店であり、猟の後でも気兼ねなく寄れるように店の中までコンクリートを打ってある。今とは違い断熱性のないガラスにコンクリートとくれば冬は寒すぎるので、ここで石油ストーブを焚く。
お客を迎えるのは正面の剥製。立派な角をもつ雄の鹿の首。商品を受け渡しする台は分厚い一枚板。上には短い銃の模型とダイヤル式の電話の有線放送がのっている。今はもうないものだ。
有線放送自体、平成の終わりに廃止され、機械も回収された。簡単に言うと、音声のみの地域放送局だ。各家庭の電話型受信機がなにもしなくても放送局からの音を受信し、流す。
放送局の営業時間中に受話器を持ちあげれば交換手につながり、放送してもらいたい情報を依頼できる。夜間、休日は休みで事前録画のものが流れたようだ。通称しゃべる電話。一番存在感のないレジは有線のとなりだ。
店には簡単な椅子と丸テーブルが用意され、お客はここに物をおき、左壁のガラスケースに並んだ銃を見ながら話をしていく。
受け渡し台の左側には腰までの高さのスイング扉が取り付けである。スイングドアの境界をくぐって、銃のケースにたどりつく。隅に青磁色の傘立てがある。若いころから足が悪く戦争に行かなかった祖父の杖も一緒だ。
「銃を使った犯罪が起きると鍵が増える」と祖父は言っていたという。ガラスケースにはもちろん鍵がかかるようになっていた。下の棚には書類や袋が入っていた。
スイングドアをあけ、二歩で上がりかまちの登場する。かまちは一段高くなり、毛足の短いじゅうたんがひかれている。
ここからが店の内側。かまちの反対側には2メートルもありそうな草色の金庫。銀色のバナナのような金属の取っ手は左右に2つ。鍵穴は隠されている。ここに銃の玉を保管していたらしい。前には祖父がいて、見張り番をしている。お客はここまでは立ち入らないのになぜか3人掛けのソファもある。
金庫の隣に窮屈そうに、木の状差し(じょうさし、郵便物入れ)が打ち付けてある。郵便物はあふれていることもあった。金庫と状差しは窓を少しふさいでいた。
ここからこぼれる午後の光はわたしにとっておなじみのもので、「あれ、子どもがソファに座って」と言う祖母をよそに、堅いスプリングのきいた昔風のソファに座って眺めていたものだった。
おまけ
ソファ一式は祖父が昭和30年代に東京で買ってきたもの。中古だったと言う。白地に赤いダマクス模様の生地に木の脚。三人掛けと一人掛けが二つ。 分厚くて重たい一枚板のローテーブル。ソファ一式のうち、店には三人掛けが、残りの一人掛け2つとローテーブルは洋室に置かれていた。
祖父の買い物は<置き場所のサイズを計って出かける>習慣がなかったからか、もとの大きな家にあわせたためか大抵の家具は大きくて、生活が不便なことがあった。このサイズ無視の買い物の方法は母、私と受け継がれた。
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