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ため息俳句 一茶忌

 いつもの繰り返しであるが、自分は俳句についても、無知蒙昧であって、ここでの発言も見る人が見れば笑止千万、まったくの噴飯ものであるに違いない。そういう人間の言うことだから、真面目にとりあうと後にお腹立ちになることもあろうかと。

 さて、問題は一茶だと思うのだ。芭蕉と蕪村と一茶、一茶以後は子規、この四人が俳諧史の主要人物であると一般の言われている。そこで、自分が似非とはいえ俳句をひねるに当たって、この四人の中の誰が自分の表現の目指す遠い遠い先にいるかといえば、「一茶」である。
 理由はと、問われれば多少のことなら言えるような気するが、まだそれを裏付ける理屈のコトバが明確にならないので、もう少し時間が必要だ。
 それまで、このブログに飽きないで居られるか?頼りないことに・・・・。

 一茶は、文政10年11月19日(1828年1月5日)に亡くなった。享年64歳。自分は、一茶よりも10年以上長生きしているのだ。
 さて、今日は新暦の11月19日、それでも季語としては新暦の今日1月19日を一茶忌というらしい。

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 書店の岩波文庫の棚の前で、永瀬清子という詩人を始めて知ったのは吉本隆明の「試行」誌上であったと、思い出したのであった。
 年をとると、思い出してばかりだ。