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ため息俳句番外#3 猫まんま


 ちょうど、10時をまわって、午前のおやつの時間です。
 キッチンの隅のテーブルの上には、塩胡椒煎餅とどら焼きが用意してあるのですが、なんだか猛烈に、「猫まんま」が食べたくなりました。
 猫といっても、我が家は飼っていません。
 でも、実家ではボクが中学生になった頃までいたのです。
 何代目の飼い猫だったか、コジョという雌の茶トラ猫のことを覚えています。
 さて、そのコジョに母があげた「猫まんま」を、横取りの如くに「つまみ食い」したのは、何歳のボクであったか、その記憶は今では闇の中です。
コジョは、気の強い猫で、気に食わないと小さな牙をむきだして、熱く息を吐き、ボクを威嚇しましたもです。爪を立てられたこともありました。
 ですが、ボクがその餌を少しばかり失敬したのは、その仕返しというわけではありません。
 ただの興味本位であったと思われます、「ネコのえさって、どんな味?」
かようなことで、ボクは猫まんまの味を知ったのです。
 美味しかった。
 さて、ボクは今では、古希を過ぎた足腰の弱った哀れなおじいさんですが、猫まんまは、ニョウボ・コドモの前では決して食べません。コジョの餌から盗み食いをしたということは、今でもボクの心にひっかかかっております。
 今振り返れば、ささやかな罪であったのですが、はな垂れ小僧に悪事を成した後には、必ずや罪の意識の苦しみが残ることを教えたのかも知れません。そうして、猫まんまは人目を避けてたるものだという強迫的観念が、何時までも消えてくれないのです。

 さて、今朝は、古女房さんがヨガ教室にお出かけで、不在です。
おやつ代わりに、昨夜のご飯が残っていました、猫まんまにして頂きます。冷や飯に青のりと鰹節、それにうま味調味料は昔ながらの味の素を一振、最期に醤油。こんな間食を知られたら、糖尿になっても知らないと、叱られますので、食べた痕跡を残さないように後片付けもしっかりします。

            



 お陰さまで、「ため息俳句」の記事数が60を越えました。
今年一月に初めて、三か月。何事も三日三月三年をめどに持続せよと言われてきましたが、残す三年はこの年になると余命の問題ですので、何とも言いようがありません。
 私の句は、まさしく「似非俳句」、俳句のなんたるかなんて一向に判っておりません。偽物であることは、皆さん一見して直ぐにおわかりでしょう。それを承知で図々しくここの末席を占めさせて頂くのはまことに恐縮ではありますが、今しばらくご容赦願います。どうぞ、じいちゃんのボケ防止にお目こぼしを。

 それから、クリエーター名、・・「クリエーター」ってのもおこがましいのですが・・・、が「水曜日の窓辺」なんてふざけた名にしたのが悔やまれます。記事が100ほどになったなら、改名します。