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水口の歩み|Sprasia.,inc.

のっけから変な写真ですみません。
こんにちは、スプラシアの水口です。
最近はもっぱらスポーツ自転車(ロードバイク)にハマってます。
週末は友人と神奈川のほうへ足を延ばして、峠道を登っては街道沿いのカフェでコーヒーを飲むというアクティビティを楽しんでいます。

これまでの歩み

スプラシアでは現在、一緒にビジネスを進めていただける方々との出会いを求めて採用活動を強化しております。そんな一環でnoteを活用してみよう!となりました。
ということで、今後色々なテーマで書いていくわけですが、
その前にまず水口ってどんな人?からお話をできればと思います。

東京都立航空工業高等専門学校(facebookより拝借)

中学~高専時代

中学卒業後は都立航空高専に入学をしました。
専攻は機械工学科。旋盤という金属を削る機械を使ったり、鋳造・鍛造なんていう金属加工の技法を実践したり、水力学・工業力学・流体力学・・・などなどゴリッゴリの機械屋さんルートを中学卒業とともに選ぶという変わり者ですね。制服はなく私服登校で自転車通学はもちろんバイクもOKなんて感じの自由な校風で気ままな学生生活を送っていました。
機械工学科と言えど、ITへの必要最低限の知識は必要だよねということで、ちょっとしたプログラムの授業とかもあったんですよ。
みなさん「ポケコン」ってご存じですか?
電卓とパソコンの間のようなプロダクトなんですが、
BASICとかのプログラムを作成できるのでちょっとしたゲームとか作れちゃったり、辞書を作れちゃったりするんで、ポケコン持ち込みOKのテストとか
やりようによっては答えを全部いれておけちゃったりw(よい子の高専生はマネしないでね)

ポケコン(出展:wikipedia)

もう20年以上前の話ですからね。その当時は今ほどITも発達しておらず
みんな白黒画面のガラケーの時代です。
正直ちょっとプログラム得意だったんですよね。周りの子より。
まぁ周りは機械工学学びに来てるんでプログラムとか得意じゃなくて当たり前なんですが、ちょっと調子乗っちゃって普通の高専の機械工学科生は
結構な大企業に就職していくんですが、私は大学でプログラムを学ぶことを目指して編入を選ぶわけです。

大学時代

東京電機大学(wikipediaより拝借)

東京電機大学情報メディア学科に編入学しました。
そこを選んだ理由は一つしかなくて。
髙橋時市郎先生に師事を仰ぎたかったから。
その当時の水口はビジュアルコンピューティングというものに非常に興味を持っていたんです。わかりやすく言えばCG(コンピューターグラフィックス)ですかね。
水口が大学に入学したころは2000年代初期、ゲーム機でいうとPlaystation2が出たのが2000年ちょうどですね。
Nintendo64のポリゴンっぽいCGで青春を謳歌した少年水口君は、
新しいゲーム機が出るたびに進化していくCGの世界に興味津々で
これからどんなCGが生まれてくるのだろうかとワクワクしていたんですね。
そして自分もそんな技術発展の一助を担えるのではないかと淡い期待を頂いていたんです。
入学後は当然髙橋先生の授業は一番前の席で熱心にノートを取りアピールを怠らず過ごし、単位も確実に取得をしていったわけですが、
待ちに待ったゼミ選択ですが、何と人気のゼミは抽選方式!
かくいう水口青年はなんとななんと抽選が外れ、希望のゼミに入れない!
第2志望のゼミに入るくらいならやめてやろうかと思案していたのですが、
入学時からのアピールがここで実を結びまして、髙橋先生の厚い温情で
ゼミの定員を増やしてまで入れて頂くことができたのです。
ゼミは面白かったです。水口の研究テーマは「不可能物体3次元化プログラムの開発」。。。やべえやつですよね。ほんと。
不可能物体ってwエッシャーとか知ってますか?

2次元には描けるけど、3次元ではありえないってやつです。
それを3次元にするプログラムです。何言ってんか意味わかんないですよねwでも、その研究を引き継いで頑張ってくれている若者が今もいるみたいです。なんかちょっとうれしいですね。

就職-博展-

高専~情報メディア学部と思いっきりガチガチの理系のルートをたどってきつつも結局自分は何がやりたいのかよくわからず、
モノづくりができてなんか楽しそうという理由だけで株式会社博展に制作部サイングラフィック課として入社。
入社後は日々モノづくりができる喜びに浸りつつも、
マネジメント、組織作り、売れる仕組み作りに興味が広がっていることを少しずつ自覚していきました。
だいぶ長いことサイングラフィック課として仕事をしていましたが、
その中でもどうしたらもっとやりがいを持って働ける組織になるか?
どうしたらもっとみんなの評価が上がって給料が上がるか?ということを考えて、業務拡大などにもチャレンジをしていました。
でも、モノづくりの現場なので日々の作業に追われてなかなかブレイクスルーができずにモンモンとしてたところで、営業組織への異動の辞令を頂き
コレは好機と営業へのチャレンジをしたのです。
モノづくりが大好きだったし、人と話すの苦手だったので、営業は絶対にやらないって思って就活してたんです。人って変わるもんですね。
あれよあれよとやってるうちにコロナ禍が訪れ、イベントが軒並み中止になってしまいまして、そんな折スプラシアへの出向辞令を頂き、ついにスプラシア時代に突入です。

‐スプラシア‐

スプラシアでは早いものでもうすぐ2年になります。
本当にあっという間でした、オンラインイベントという全く新しい市場でのチャレンジと共に、売れる仕組み作り、みんながやりがいを持って働ける組織作りこれに今真っ向からチャレンジをできています。
人と話すことが苦手とかいってたやつがウェビナーに登壇してしゃべったりしてます。
日々新しいことばかりで、悩んだり迷ったりすることも多いですが、
たくさんの素敵なメンバーと一緒に日々切磋琢磨して、楽しく仕事をしています。
自分自身もっともっと成長して、いいメンバーといい会社を作っていきたいと思います!
この記事を最後まで読んでくれた方、ありがとうございます。
是非興味があれば、スプラシアへのご応募お待ちしています!


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