毎日判断を迫られはじめてからが大人、ただ大人の対義語が子供とは限らない

松原みきの「真夜中のドア/Stay With Me」という曲が、大好きなんです。
どうにも取り返しのつかない感じが特に。
どうしようもなく好きだったり、お気に入りの曲が数曲ありますが、その中の一つです。

最近、陽がのびたと感じる。まだまだ寒いけど。少しずつ季節が変化していて、雨が降ることも納得する。

私にはこうやって過ごしたい日曜日というのがあって、
夕方より少し前にお風呂に入って、
着替えて手ぶらでたこ焼きを買いに行って、
公園のベンチで食べて、
映画をみて、
家に戻ってミュージカルとかサウンドトラックとかジャズとかそういう音楽を聞きながら何か食べて、
お酒を飲んで小踊りして、寝る
こういうのに、すごく憧れています。
子どもの頃、お母さんとしかやったことない。
ポイントポイントはあれど、これをワンセットでやりたい!
今年はそういう日曜日をちゃんと、たくさん作りたいです。
季節は意外と問わない気がしている。

昨日、スレッズに書いては消してを繰り返していました。
なんか違うな、を繰り返していて、自分の器の小ささにがっかりするというより、周りのことを気にしなくても大丈夫なくらいもっと満足できるものを探さないとって焦燥感に駆られています。
頭が身体に指示することは、ときどき的外れだから、それだけで自分はこうなんだと決めてしまうのは、少し息苦しい気がする。
たしかにいつまでも足りない心ではある、けど、どうしたら埋められるかを探しているから、自分の心とも対話した方がもっと正直で、過ごしやすいかもしれないですね。


タクシー乗りながら、やっぱり、と思って降りた時がある。
まだまだ寒いんだけど、歩くのが好きで(というか電車があんまり好きじゃない)、最近また散歩をするようになりました。
昼間も夜間も外出する時はなるべく歩くようにしている。

でもやっぱり寒いし、歩くのは昔よりとても遅くなった気がする。電車に乗ったら負けだ!と思ってわざと遠回りをするルールを設けてる日もあります。
不思議とこの不便さが気楽になるものなんですよね。
ちょうどよく考える時間がとれるし、しっくりくる。
気軽で、何かに追い回されることのない気持ち良さがある気がする。
あと、歩くのって体にいいらしいという慰めも信じてます!!

タクシーを使うようになったからといって、それが大人になった、とは言い難い〜。

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