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ご趣味は?

「趣味は何ですか」「ありません」…が、今までの私だったかもしれない。なんと寂しい人間か。

継続して続けている事を「趣味」と呼んでもいいのであれば、私は案外色々な趣味を持っているのではないかと思った。文房具収集とか、創作とか。ただ一般的に「創作が趣味です」と言ったところでアート的なものなのかはたまた二次創作的なアレなのか…という問題が若干ながら生じる。

最近ふと気づいたのは、私はもう立派に「舞台鑑賞」は趣味と呼んでも良いのではないかという事だった。なんだかんだ言って、数は少なくても色々自ら興味を持って足を運ぶという事をしている。興味の範疇は狭いものの自分の意志無くしてわざわざ出向くという事も無いだろう…と考えたら、立派な趣味の様に思えてきた。

日本は殊更、趣味に「プロ思考」を求めがちだと思う。絵を書くことが趣味と言えば、普通はプロに依頼すべきレベルのものをタダで書けと言ってくるし、アクセサリー作りが趣味と言えば高クオリティNOコストを要求してくる。低コストですらない。低コストでも悪意を感じるけど。

舞台鑑賞にそう言ったプロ思考があるかと言われればそうでも無いのだが、何分私のように「観劇本数」が少ないと「あんまり観てないじゃん」とか言われる。数打ちゃ良いって物でもって無いだろう。

演者がよく口にする「舞台は生物」と言う言葉は、観客にとっても同じだと私は思っている。舞台の種類にもよるかもしれないが、その日にしか観られない光景と言う物が存在している。何度観ても「このシーンが良かった」は100%前回と一致することはない。何故なら観れば観るほど「このシーンが良かった」は増えていくものだからだ。

そう言う意味では、色んなものを沢山観ているから良いというのは無くて、1回限りのご縁かもしれないその瞬間に迷わずのめり込んでいくのが良いのではないだろうか。観た舞台で遠慮なく泣けたら演者の勝利だろう。私は演者を勝たせたい。勝たせたいからありったけの感性をフル稼働させて舞台上のひとりひとりの表情や仕草、ダンスの振付など目から入った情報を脳で処理するより前に湧き出る感動に身を任せてそれを見ている。

あまりに感動が先行しすぎて、他人と異なるポイントで涙することもあれば、他の人が涙ながらに観ているシーンで泣かなかったりする。その代りと言うのもおかしな話だが、役の感情に沈んでいく感覚があるのだ。演者の感情ではなく、演者が演じている役…つまりキャラクターが感じているだろう一瞬の激情の様なものだ。それがどっと流れ込んできて溺れそうになる。たまに、シーンが終わった瞬間にぜぇぜぇと息をしていることもあるくらいだ。

私は評論家の類ではないので「構成は…」とか「ここの振付が…」とか正直言うとそこまでハッキリ憶えちゃいない。ただただ目の前で繰り広げられる世界に溺れ、涙していたい。劇が終わった瞬間に訪れる『水面にやっと浮かび上がってきた』かの様な、あの感覚が愛おしい。感性と感情の赴くままに身を任せるのが私の観劇スタイルと言えるだろう。

そう考えると私に観劇レビューって物凄く難しいんだよなぁ…でも伝えたいし、沢山の人に聞いてほしい。私が観てきた美しい世界の話を。

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