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どうでも良い違和感

今となっては当たり前になった光景がある。電車、道端、列。そこかしこで見られるそれは、私にとってはまだ違和感のある光景だった。

スマホを覗き込む人たち

これをお読みの方に伺いたい。普段、電車待ってる間何してますか。電車に乗ってる間は?コンビニのレジに並んでる最中は?信号待ちの短い時間で何してますか?
多分圧倒的に多いのは「スマホ見てる」じゃないかと思う。そう、右見ても左見てもスマホをずっと見ている人が多いのだ。

私の家は、かの(乗車率200%で)有名な東京メトロ東西線の沿線にある。まぁ朝の混雑具合と言ったら毎朝軽くドン引きする程に混み合う。“パーソナル・スペース”の概念が崩壊しそうな程に混む。何なのあの量。元・田園都市線ユーザーだったけど、乗車率120%って可愛いもんだな…って思ってしまう。何か感覚がおかしくなる。

そんな馬鹿みたいに混み合う電車の中でさえ、狭い空間でスマホを取り出しずっと何かを見ている人の多いこと。そんなに見たいのか?と首を傾げたくなるけど傾げるスペースだってない。そう言う空間だ。少し気を抜けばバランスを崩しかねないのに。

『待ち時間』の消費方法

私は生憎、あまりコンタクトを取り合う相手が居ない。朝から晩まで人とやり取りし続けると言うことは先ず無い。友達が居ないから…と言う寂しい理由ではなく、そう言う頻度でコンタクトを求める人が友人・知人に居ないという事、私自身がその頻度を好まず適度な所で切り上げる事を選ぶという事が関係していると思う。
つまるところ、満員電車の中やコンビニのレジ待ち列でそこまでスマホを眺めることはないのだ。

実際、朝から晩までスマホを眺めている人たちが果たして誰かとずっとコンタクトを取り続けているのかと言われれば、それは極少数に留まるのではないかと思う。大体がニュース読んだりSNSやったりゲームしたり…と言うものではないだろうか。

満員電車の中もコンビニのレジ待ち列も同義とする。目的があってそれに対して待っている時間がそこには存在しているからだ。それらの『待ち時間』は長いときもあれば短い時もある。ただその限られた待ち時間の間に彼らはスマホを取り出し画面を見続ける。その僅かな時間について何があるわけでもないのだろうに。

ふと考えた。そんなにも『何もしない』時間が嫌なんだろうか?ただ待っているだけの時間に意味を見いだせないから、待ち時間にスマホを取り出すのだろうか?と言うか、スマホ以外で時間の消費の仕方を知らないんだろうか。

ここで私の待ち時間の消費方法なんぞ語ったところで偏屈にしかならないので控えておく。だとしても視界から入ってくる情報をスマホだけにしてしまうのは惜しいのではないかと思う。情報量の多さはスマホに勝りはしないのかもしれないが、視線を上げた先にも沢山の情報があるのに。窓の外に何が見えるのか彼らは知っているんだろうか。

あの川を越えたら桜並木が見えるんだよ。

晴れた日に通過する川はキラキラしてるんだよ。

日々あの駅の壁が工事で綺麗になってるんだよ。

雨の日、あの大きな塔がラスダンみたいになるんだよ。

20:30過ぎ、あの駅出発して直ぐ、花火が見えるんだよ。
ほら、上がった。え、知らないの?…毎日見えるのに。

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