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「繰り返し」を意識する

会社の昼休み中、何気なくTwitterを見ていたらこんなツイートを見た。

F太さんの過去ツイートを投稿するbotからなのだが、これについてこんなリプライが付いていた。

「歯磨きやお風呂は毎日出来るのに、その他はなぜ出来ないんでしょうか」

果たしてこの問いに即答できる人がどれくらいいるのだろう?私の出した答えは後ほど書こうと思う。答えに至るまでの約5秒間に思ったことを覚え書きのつもりで書いていこうかな…というのが今回の話。

「繰り返し」を習慣づけることの難しさ

毎日きっちり同じ動作を短い時間でも組み込むという事の難しさについてはF太さんのツイートにもある通り、様々な事が理由になる。天気、ホルモンバランス、周囲の環境、機嫌、気分…本当に様々だ。それが「朝やること」でも「夜やること」でも実際大差ないのである。

恐らく誰かと一緒にやっていたとしても同じくらい難しいだろう。何故ならこの「考慮しなければならない原因」が2倍になるからだ。私には私の理由が、その人にはその人の理由が現れ、難しくなる。共同作業であれば続けられるかと言われれば、恐らく継続期間は多少伸びるかもしれない…しかし「毎日継続」の成功率で言えば圧倒的に下がると思われる。

自分ひとりの時だってそうだ。平日毎日仕事や学校に通っていたとして、平日と休日が同じサイクルで生活出来るわけでもない。平日毎朝6時15分に目を覚ましていたとして、土日に6時15分に目を覚まさなければならない理由は何だろう?どうせならせめて短くとももう1時間くらい寝ていたいと思うのが心理なのではないかと思う。昨今の日本人は平日の睡眠時間短いし。

こうやって毎日noteを書き続けるのも、丸2ヶ月続いたから割と慣れてきたものだが、今でも1度もパソコンに向き合わずスマホからぽちぽちと過去に記録しておいた下書きから好きなものを選んで投稿するという事をする。「何も書けない日」というのは往々にしてあり得るのだ。…言っておくがこのnoteもさっきまで下書き一覧に居たんだぞ。

「繰り返し」が続けられる理由

さて、では「問い」の方に視点を向けてみよう。歯磨きやお風呂は毎日出来るのに、何故他のことは出来ないのか。個人的に、この問いに対する答えは実はめちゃめちゃ簡単なものだと思っている。「自分の生活に(その「他の事」が)必要ないから」だ。

歯磨きやお風呂というのは、幼少期からの繰り返しから身についている。何故身に付いたのかと言えば、単純に「衛生面」が起因していると思う。お風呂に入らないと汚い、気持ち悪い。歯を磨かないと汚い、口が臭くなる…などなど。身体も歯も清潔にしておかねば、疾患や菌の繁殖の可能性がある。ならば清潔にするしかない。

その繰り返しが身についた最大の理由は「身につけなかった場合のリスク」が関係しているのではないだろうか。不潔であることによる問題。前述の病気もそれに含まれるし、対人関係にも影響が出るだろう。…もしかしたら、百年の恋も冷めるかもしれない。いや、知らんけど。

私流「繰り返す為に必要な事」

何かを新しく習慣づけるのに必要なのは「やらなくちゃ」と言う強迫観念と「成功報酬」という自分へのご褒美だと思う。

「やらなくちゃ」という強迫観念は、先ほど挙げた「身につけなかった場合のリスク」の話だ。私の場合の「毎日noteを書く」という事にどんな強迫観念を持てばいいのかと言う思いはあるが…例えるなら「自分の特技をひとつ失う」とか「誇れるものが無くなる」とかそういう自己肯定感や自尊心を盾にしてやっても良いかもしれない。

「成功報酬」は簡単だろう。やればやった分だけ結果が目に見える。誰かが読んでくれていて、気に入ってくれる。今は読んでくれる人が少なくても将来的にはもっと沢山の人の目に留まる日が来るかもしれない。私もnoteをお仕事に出来る日が来たり…いや、すんのかな(我に返るな)

と、こんな感じに「自分の生活に必要が無い」から続かないのであれば「続けなければならない」理由を付加してやることで習慣化していくのではないかと思っている。あくまで私個人の話でもあるのだが。

答えを出すのは簡単だし、言うのも簡単なんだけど、これを実行に移すというのが何より難しい。何より理由を付けることが難しい。何せ人は時として「やらなければならない事」から目を逸らしがちだからね…。

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