食事と宿泊に関する小説の描写について

図書館司書をしていたころ、「おいしそうな食事シーンがある小説でオススメを教えて」と聞かれたことがある。おいしそうな食事シーンは一般的に人気のようで、ジブリの評でもよく耳にする。ラピュタに出てくる目玉焼きパンとか、千と千尋のおにぎりとか。

だけど私は食事シーンが苦手だった。有名なご飯もの作品を読んでも良さがわからなかったし、気持ち悪さを感じることすらあった。『はなちゃんのみそしる』も『花のズボラ飯』も苦手。

食事が何とイコールかというと、快楽だと思う。生命維持に必要な行為ではあるけれど、現代日本でそこまで必死に食事を捉える機会は少なく、娯楽の一種であることの方が多い。「ごほうびスイーツ」もその一環。

一方で私にとっては食事は生死と直結していた。食事のたびに狩りみたいなしんどい思いをして育ったから、食事とほうび・快楽はイコールにならず、苦労の一種だった。

うちは虐待で警察沙汰になった家庭だった。子どもの頃は両手で皿を囲い、口から直接犬食いしていた。そうして守らなければ食べ物を奪われるという恐怖が原因で、野良の動物みたいな暮らし。学校給食も苦痛で、教室を抜け出しては怒られていた。

数年前から趣味でちょっとした物語を書いている。
その中で自分がまともな食事シーンを一切書いていないことに気づいた。登場人物を食べるカニバリズムに関する物語は複数書いている。
命を食らうということに関する世間との認識のズレがあるのだろう。

また、宿泊に関することも複数書いていて、無自覚にこだわっていたんだなと気づいた。私にとって、泊まる場所があるということの方が、食事以上に生命を守ってくれるものだった。
前述の環境で育ったため、小学生のころから家出願望が強い。10歳前後で友だちの家にお泊まりしたとき、はじめてばんご飯の家族団欒を体験してカルチャーショックを受けた。

学生時代、家庭環境を知った教師たちが、特例で安く学生寮に入れてはどうかと検討してくれたり、担任の女性教師が、うちに泊まりに来なさいと言ってくれた。友だちも何人か、実家がつらいならうちに泊まっていいと言ってくれた。
逃げ場を提供してもらえるのは本当にありがたかった。
一時期、事態が悪化してシェルターに保護を求めたら、「今は満員だから泊められない。緊急事態なら検討するが、ひどいけがも病気もないようだから無理だ」と断られたことがある。軽症であることを喜べばいいか残念がればいいか、複雑だった。
おおむね、私にとって宿泊は安全を提供してくれる善意として、とてもうれしいものだった。
だから繰り返し宿泊を描くのだろう。



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