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A GHOST STORY について考える

12月28日のデイキャッチャーボイスでの宮台真司氏のA GHOST STORY についてのコメントを聞いて、興味を持ち観てきた。
宮台氏のコメントを踏まえて、考えたことを書いていきたい。


結論は、
本作品は、土地の記憶に関する物語 と 男が一歩を踏み出すまでの物語という2軸があり、どちらも最終的に、偏在する存在の肯定=世界の意味の肯定 という形で統合される
というものだ。

以下、詳述する。

宮台氏は本作品を、存在した事実は消えないということを以って、世界に意味はあるのか という問いに対して 世界に意味はある と答えた作品
と評した。

確かに、映画を見てから、自分は奇妙な感覚に襲われる。すでになくなったものが、見えないだけで、そこに残っているのではないかという感覚。街の記憶、人の存在、そう言ったものが。

時間不足で十分説明できていなかったが、デイキャッチャーボイスで宮台氏は、次元について言及していた。説明不足の点を補うと、こういうことではないだろうか。

私たちの暮らす世界は、上下左右前後の3方向からなる3次元空間である。これに時間を加えて4次元の世界に私たちは暮らしている。私たちは上下左右前後は自由に移動できるが、時間については知覚することしかできない。つまり、私たちは、4次元を知覚しつつ、3次元を生きる存在である。
例えば、蟻さんは前後左右しか移動できない。上下の存在を知っているが移動はできない。蟻さんを3次元を知覚しつつ、2次元を生きる存在であると考えることができる。
ここで、思考実験として、人間より次元を一つあげた存在を考えてみる。その存在は、上下左右前後に加えて、時間をも自由に移動できる。さらに私たちには想像もできない第5の次元を知覚できる、そんな存在である。そうした5次元を知覚しつつ、4次元の世界を生きる存在は、死や消滅について、私たちとは随分違った受け止め方をするに違いない。時間を戻ればまた会いに行ける。かつて存在していたことと、現時点で存在していることの違いは、私たちにとっての、ここに存在しているのと、ここではない他の場所で存在しているくらいの違いしかない。それは存在した事実が消えないという事実の重みが、くっきりとした意味をもつ世界であろう。

ここまでの記述は、ただの思考実験ではある。しかし、蟻さんが人間の世界に立てないからと言って、人間の世界が存在しないわけではない。目覚めた蟻さんが人間の世界を思い描き、ついには羽蟻として進化するかもしれないのだ。

人は死ぬ。宇宙もいつか終わる。それでも、この世界に意味はあるのか。時間が一方通行で、失われたものが文字通り失われたままの世界観に立つ限りにおいていは、この世界に意味はないのだろう。今求められるのは、幽霊の想像力、円環する時間と遍在する存在に対する感性、そんなものではないだろうか。

A GHOST STORY は一見して、小難しい話ではない。それは、前に進む女 と 留まり続ける男 の物語である。女の残したメモが男の背中を押して一歩踏み出させるまでを描いた物語である。

なぜ、男は前に進もうとしないのか。失うことが怖いからだ。それは男が作った曲を通じて表現される。君に去られて悲しい。どんなものもいつかは必ず失われる。それが耐え難いから、男は少しでも確実なものにすがろうとする。それは、歴史ある建物への敬意であったり、古いピアノへの愛着であったり、引っ越しに反対することだったりする。失われることを恐れ、変化を拒むことは、最終的には世界に意味がないと言っているに等しい。どんなものも最終的には失われるからだ。つまり、この物語は、世界の理に目を背けNoと言い続けていた男が 最終的にYesと言って世界を受け入れるまでを描いた物語なのだ。

男の背中を押した女のメモにはどんなことが書いてあったのだろうか。
愛しているわ、あなた。あなたも前に進んで。
おそらくこんな、些細なありふれたものではないだろうか。

男が前に進むことを決意し、言い換えると、この世には意味があると確信し、成仏するきっかけとなったのが女のメモだとしても、観客の映画体験としては、幽霊の成仏は、より重層的なものとなる。

どういうことか。

ラストシーン間際、時間をやり直し、女が出て行く直後まで遡った段階で、もう一人の男の幽霊が画面に映る。つまり、知覚されないだけで、男の主観の数だけ幽霊は存在しうることが示唆される。深夜のピアノの出来事は、男が引越しを受け入れることにショックを受けた幽霊の仕業だった。ここでは因果が円環状にくっついて循環してしまっている。

時間は一方通行ではない。過去に失われた存在は、そこここに遍在し、幽霊となって因果を形作っている。

かつて、ここには、家を建てようと決意した開拓団の一家がいた。それが始まりだった。だが、すぐに殺されてしまった。死体は風化し、跡形もなく消えてしまった。彼らの生には意味はなかったのか。彼らの生は目に見えぬ想いとなり、時折見える揺らぎとなって、漂っているのではあるまいか。

その意味で古い家の歴史に愛着を持つ男の感性は正しかった。ただ、それは失われるものを恐れる自分から目を背けるためのものとしてではなく、世界を肯定し、前に進む力を得るものとして捉えるべきだった。

家にまつわる歴史を体験し、現在に戻ってきた男が、妻から残されたメッセージを読むとき、2つの物語が交差する。家にまつわる物語と男の個人の生き方に関する物語の。その何れもが、失われたものは想いとなって残り続ける。だから失われることを恐れる必要はないのだ。世界に意味はあり、変化を受け入れ前に進む価値のあるものだ。というメッセージとなって集約される。

A GHOST STORY は、生きる意味に関する希望の物語である。

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