通勤note.6

一人暮らしの時、どうしても食べた後すぐに皿を洗えなかった。お腹いっぱいで幸せで動きたくなくて。って綺麗に言ってみたけど、嘘。ただめんどくさがりだから気が向いた時に洗っていた。これも嘘、気が向くことがないから。皿がなくて次のご飯を盛る時に仕方なく洗ってた。人と住んでも変わらず、だいたいいつもテキパキ屋の彼が、ごろごろする私をころがして洗ってくれている。

わたしは食いしん坊だからご飯を作るのが好きだ。彼は食べた後に皿を洗うのが別に苦ではないという。需要と供給一致じゃん、と言ってくれるけど、そう?申し訳なくなる。時々極稀に「今日は洗ってほしい」と頼まれると嬉しくて皿を洗う。「時々極稀に」というところが大切である。頼られるとニンゲンは嬉しいものだ。いつも当たり前のようにやってくれて本当にありがとうという気持ちになる。まあそれはそれとして、私が午後出社の昼が問題であった。

私は午後出社の時、サラッとご飯を食べて、いつもシンクに皿をほったらかして出勤していた。いつも先に帰った彼がお皿を洗ってくれていた。わたしの分しかないのに。流石に悪いから置いといて、と言ってもシンクに洗っていない皿がある状態は心地悪いらしい。このやりとりを何度かして、結局お昼に私が置いていった皿を洗った時はわたしのお菓子箱か冷蔵庫に置いてあるジュースを好きに取っていいよということになった。私は私のやり方生き方があるから変えられない、と思っていた。

一緒に住んで早2年目、私はお昼の皿を洗ってから出勤できるようになった。あたたかい罪悪感が私をちょぴと変えた。北風と太陽みたいだなと思った。

とはいえまだ2回連続できただけなんだけど。今日昼にお皿を洗いながら、前もできたなあって自分に感心してしまった。自分を変えるのが難しいな〜なんて考えていて、ふと皿を洗っている自分に気がついたのだった。

シンクに使った皿があるのが気持ち悪い、と言われ続けてそんな気持ちが育ってきたのもある。そっちは北風の方だけど、太陽のあたたかさだけなら洗えるようにならなかったかもしれない。

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