赤さんと呼ぶ

先ほど電車の扉が開き、ベビーカーを押して出てきたお母さんを見かけた。赤ちゃんを拝みたく、遠目でベビーカーの中を覗いた。ベビーカーの中は空っぽで、ありゃ、と思ったがすぐにお母さんの肩に抱っこ紐がかかっていて、その中に赤ちゃんがいることがわかった。赤ちゃんの顔は見ることが出来なかったが、そこに赤ちゃんがいるというだけで、その周りは照らされているように感じる。

この時、私は「赤ちゃん、いや赤さんありがとうございます。これから生きていく上で嫌なこと大変なこと死にたくなるようなこともたくさんあるとおもいます。大変な人間の世に生まれてくる選択をしてくれてありがとう。」と心の中で声をかけてしまう。

赤さんは大変だ。少し前、私も右も左も分からない状態で新入社員として入社して大変だったが、赤さんはさらに何も分からない状態での入人生いうことになる。分からないということは怖いことだ。新入社員当時、怖いながらもそれまでの22年間に得ていた知見を活用し、他者と関わり助けてもらい、説明不足のところは足りないながらも経験で補うことが出来た。しかし、赤さんはどうだ。そもそも少し前までは「・」の存在。見るもの触るもの聞こえる音全てが分からないことだ。

お母さんも大変だ。新入社員の指導者も相当大変そうだったが、放っておいてもまあ泣きはしないし死にはしない。お母さんはすごい。人生未経験の赤さんを、イチから指導して人間社会に放たねばならない。

先ほど出ていった赤さんと入れ違いに、別の赤さんがベビーカーに乗って電車に乗ってきた。赤さんは泣いている。泣いているけれど、赤さんが元気な声を聞かせてくれると、ほんのり空気は暖かくなる。赤さんは電車に乗るのは何回目だろうか。ここがどこか分からなくて不安なのか、おなかがすいたのか、眠いのか。お母さんは周りを気にしているようすで、泣き止ませようとしている。

私に赤ちゃんの頃の記憶はあまり残っていないが、年齢を重ねる度に自由度が上がっていって、どんどん楽しくなってきた。赤さんは言いたいことも上手く伝えられないし、不自由を感じることは多いと思う。不自由を泣いて訴えている。赤さんはえらい!お母さんも本当にえらいな。

赤さんはあと100年も生きなければならない。私たち大人は赤さんの100年後にあまり責任を持っていない。今を生きること、不平不満を言うこと、自分の幸せを味わうことに必死だ。でも、赤さんを見かけると少しても良い未来にしたいなと意気込める。どうなるかわからないけれどとにかく大変であろう社会をあと100年も生きる予定の赤さんたちに、全ての大人は敬意を持って接しなければならない。

全ての赤さんと赤さんを育てる全ての人の未来に幸せが訪れますように。

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