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言葉を多くは知らない子どもたちのイノセントな情動|『あこがれ』川上未映子

まだ語彙が豊富でなかったころの自分の感情を、もうはっきりとは思い出すことができない。洗剤の容器でつくった水鉄砲を抱えて園庭に佇んだとき。お気に入りのペンケースをクラスの男の子にとられて追いかけ回したとき。

情景は想い出として取り出せる場所にしまってあって、でもその景色に伴う感情は「楽しかった」ような「怒っていた」ような、とにかく平べったい感情しか付属されていなくて、少しがっかりする。そのときの私はきっと少ない語彙の中いろんなことを感じて脳内で表現していたはずなのに。

川上未映子さんの『あこがれ』は小学生の麦くんとヘガティーがそれぞれ主人公となった二篇の小説。一篇目で小学四年生だった二人は、二篇目では小学六年生になっている。

ひとつめの物語は、スーパーのサンドイッチ売り場で働くミス・アイスサンドイッチと麦くんの話。ミス・アイスサンドイッチに目が釘付けになって、彼女を見るために毎日サンドイッチ売り場に足を運ぶ麦くんは、その感情の正体をしらない。

ふたつめの物語は、父に前妻とその間の子どもがいることを知って、まだ見ぬ姉をひと目見たいと思うヘガティーの話。母を早くに亡くしているヘガティーは、父との接し方に葛藤し孤独を感じながらも、その姉のことは単純に見てみたいという。その感情の正体を彼女は知らない。

読点の多用と一文の長さは独特で、まるで子どもたちの頭の中をそのまま覗いているよう。考えと同時に言葉が口から溢れ、息継ぎを忘れて思考とおしゃべりを続ける子ども特有のスピード感。

小さな頭の中で目まぐるしく、たくさんたくさん考えていたあのころを思い出す。私たちにも確実にあったあのころ。

ぼくの頭のなかの黄色とオレンジを混ぜたような色をしてぐにゃぐにゃ動きまわってる部分がいきなりぐんと明るくなって、それから、あごのすぐ下と鎖骨のあいだのくぼんだあたりがぎゅっとしめつけられたような感じになる

麦くんがミス・アイスサンドイッチを眺めているときに訪れる心の表現。
この気持ちの正体を麦くんはまだ知らなくて、だから丁寧に一つひとつ心の感覚を追って言葉にしてみる。「恋心」「好き」そして「あこがれ」。そんな便利な言葉がまだ世界になかった子ども時代。

お腹の底から怒りのようなものがこみあげて、それがのどを突き破ってすぐにでも噴きだしてしまいそうだった。わたしは胸を押さえて深呼吸してから言った

物語の佳境、ヘガティーが自分だけが知らなかった事実に気づいたときの描写。コントロールできない突発的な怒りの気持ち。のどを突き破りそうな気持ちをどう処理すればよいかわからない。

自分の感情を端的な言葉に置き換えることができない子どもたちの情動が鮮烈で、その世界のイノセントに読者ははっとさせられる。

語彙が足りないからこそ、子どもたちは情動を丸ごと外に放出できるのかもしれない。感情の言葉を知って使いこなしてしまえば、その言葉以上の情動は気づかぬ間に制御される。

私の小さなころの想い出たちは平べったい言葉に支配されてしまっているが、丁寧に掘り起こしていけば、麦くんとヘガティーのような鮮烈な情動を思い出せるだろうか。そしてその情動を解放できるだろうか。

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