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超現実主義なのに占い好きという矛盾

私は超現実主義だと、新卒で入った会社の人事の人に言われて気づいた。

どうやら謎にありえない想像をしてしまう性格だし、ロマンチックなことも好きなタチなので(なんか恥ずかしい)、自分のことを現実主義者だと思っていなかったのだが、
ディズニーで夢の空間を楽しめなかったり、ファンタジーを受け入れられなかったりする。
ミッキーは着ぐるみじゃん、とか、ファンタジーはその話の設定自体の理解をしようとしてしまい、溶け込めない。(反感を買うが、もっとも、そういうものが好きな人のことを否定している訳では無い)

そんな私だが、スピリチュアルや占いはとっても好きだ。
目には見えない波動だったり、月の満ち欠け、そういうものは信じている。

人生は偶然が重なって、いろいろなことが起こる。
それは偶然ではなくて必然だと思っている。
人の力でどうにかできることは実は知れていて、それ以上に自然や目に見えぬ何かが動かすものはとても大きい。

コロナだってそうだ。
予期せぬ事態はいつだって起こる。
そういうものも、確かに憎きものではあるかもしれないが、考え方によってはテレワークという新しい働き方や、キャッシュレス化だって進んだから、悪いことばかりでは無いと思う。
確かに虐待が増えたり、自殺が増えたりしていると聞くが、当たり前のことが当たり前ではなくなって、外に出られる喜びや、人に直接会える喜びを感じられたのではないだろうか。

きっと当たり前にあったものに対して、感謝できるようになったのでは無いだろうか。

私の場合、それは大好きなビールをジョッキで飲めて、直接人と乾杯できたことだ。

もちろんオンラインで飲み会はたくさんしたが、対面で会えることに感謝した。
こんなに嬉しくて、美味しかったんだと気づいた。

そういう、何かしら意味があってのことなのではないかと考えている。

話はそれたが、そんなわけで私は超現実主義だが占いが好きだ。

どうしようもなく悩んでいたりするときや、なんとなく自分について知りたくなった時、ふらっと行きたくなる。

そうすると、今は悩む時期なんだな、とかうまくいかない時期なんだな、だから考えてもしょうがない、と自分の中で納得できるのだ。

もちろん家族や友人に話を聞いてもらって励ましてもらったりもするのだが、意外と前向きになれるのは客観的意見というか、目には見えないけど動いている何かで、そういうものに救われたりする。(結局占いかよ、と毎度思われている)

そんな昨日も、モヤモヤしていた私は5ヶ月ぶりに占いに行ってきた。

この先どうしていけばいいかわからない、相手がどう思っているのかわからない、だから知りたい、という目的を持って。

今の運勢もわかり、どう過ごしていくのが自分にとって良いのか、とても明確になり、今までモヤモヤしていた感情がすっきりした。

自分のことをよくわかっている人にアドバイスされると、人に従っているように思ってしまうからかなかなか聞けないが、占いだとある意味事実を知り納得した上で自分で決めた、という感覚が強いからかもしれない。
というか、ある種諦めがつくからかもしれない。

オチもなにもないが、現実主義と目に見えぬ何かを信じるというのはなんとも矛盾な気もし、かなり単純な自分に呆れる今日この頃だった。(きっと家族や友人の方がもっと呆れているだろう)

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