舞台『かげきしょうじょ!!』を見た。古傷が開いた。

愛する『かげきしょうじょ!!』が舞台となると聞いた時は、どれほど嬉しかったことか。
身を震わせるほどの喜びの中で「絶対に見なければならない」と天と友と心に誓ったのだが、諸事情によりその週のみ関東への外出が叶わなかった。
それどころかそもそも二時間ちょっとの映画を見ることすら体力を使い果たしてしまうような体調で、配信をリアルタイムで見ることすらできなかった。
だが今週に入って少し体調が回復したこともあり、一週間ほど経過してようやく舞台『かげきしょうじょ!!』を見ることができた。
まず最初に言っておく。面白かった。
脚本は『かげきしょうじょ!!』の『シーズン0』をベースに、本編一巻及び二巻のエピソードの一部を再構成したかのような内容ではあったが、『かげきしょうじょ!!』の根底にある「自分の力ではどうしようもない、生まれ持ってしまったものの宿命」を何度も何度もリフレインしながら展開はまさしく『かげきしょうじょ!!』と言っていいものだし、アニメの楽曲も使用しながら「舞台の『かげきしょうじょ!!』」を作り上げることに成功していた。
「舞台演劇を題材にした作品の舞台化」だからこその演出も多く見られ、とりわけ「作中では見開き一枚で描いていた紅華歌劇団の『ロミオとジュリエット』」を一部分だけでも演劇にしたことで、その後の「渡辺さらさの模倣と予科生の見た景色」がより一層映えていたように思う。
物語的にはここからギアが一段階入っていく「(模倣で終わっているから)お前はトップにはなれない」を、「自分の課題を見つけた」と解釈して親友と共に未来のスタァを目指して始めていく!と締めくくってきたのは驚かされたのだが、見てよかった点が二つある。
一つは奈良田愛の人間嫌いが形成されたシーンの演出だ。
『かげきしょうじょ!!』で渡辺さらさと並ぶ主役の一人となっている奈良田愛は、物語開始当初は「男性恐怖症の人間嫌い」というキャラクターで、そのきっかけとなったのは母親が連れてきた愛人による性的虐待なのだが、舞台版では虐待を行った加害者を限りなく抽象化されたものとして演出している。
原作からして愛人の顔が具体的に描かれているわけではないのだが、舞台版ではテディベアが愛人のアイコンとして扱われており、原作以上に「何物でもなさ」が強められている。
そんな抽象化された状態なので、奈良田愛が性的虐待を受けるシーンのグロテスクさが際立ち、「奈良田愛の心が踏み躙られている」という印象を強く感じた。
生身の人間が演じているからこその生々しさもあったのかもしれないが、この演出は面白いし、観客の想像力を引き出す良い演出だ。
もう一つは本科生、特に野島聖の存在だ。
『かげきしょうじょ!!』のファンの間では心と記憶に残るキャラクターとして伝説的な存在になっている野島聖は、嫌っている相手からも「娘役のトップになる」と思われる存在だ。彼女は奈良田愛の指導係でもあるので、今回の舞台でも登場するのだが、舞台版での野島聖は何というか「これは娘役のトップになるわ」と確信できる存在なのだ。
優雅で可憐で、毒は強いけどその毒も含めて多くの人に愛される。
そんな存在であることがよくわかるほど、舞台の野島聖はあの野島聖なのだ。あの野島聖が舞台にいるのだ。
おかげで原作ファンとしては野島聖につけられた古傷が開きっぱなしである。「絶対トップになるわ」という演技を役者から繰り出されるたびに、古傷が開く。青山なぎさの解釈は完璧だった。今回の脚本にない部分までしっかりと読んだ上でやっているのだろう。凄い実在性だった。
またその野島聖と対になる存在として描かれている中山リサも負けておらず、「このキャラクターなら野島聖に負けない」と思えるもので、この辺も舞台になってほしい気持ちでいっぱいである。
アニメと舞台の両方で山田彩子を演じた佐々木李子も歌の表現力でねじ伏せてくるし、原作ファンなら見ておくことで解像度がガツンと上がる系の舞台であることは間違いないのだが、悲しいことに配信は今週土曜20時までとなっている。
ソフト化されたらラッキーぐらいの作品なので、ファンだと思う人は見ても損はしないと思うので、見ておいてほしい。




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