キンプリ

『KING OF PRISM -Shiny Seven Stars-』を最後まで見終えて

『KING OF PRISM -Shiny Seven Stars-』の10話から12話に該当する第四章が5月4日に劇場公開された。

可能な限り初回初日に見に行くようにしているので、当然のように今回ももう見ているわけだが、見終わった直後の私の気持ちは一言で表すのなら「ここまでのものを世に出してしまって本当によいのだろうか」という困惑であった。

これまでの『KING OF PRISM -Shiny Seven Stars-』ははっきり言って「凄い」作品だった。
キャラクター一人一人の人生や背負っている物語を一話の中に詰め込めるだけ詰め込み、プリズムショーでその人生のクライマックスを「プリズムジャンプ」という形で表現する。
一話の中でそのキャラクターのこれまでの歩み、これからの願いが詰め込まれているからこそ、プリズムジャンプの中にキャラクター達のクライマックスを見出す事ができる。
その結果我々は深い感動を覚え、大粒の涙を流し、そして「彼らを応援したい」と思えた。一話を見るだけでそんな気持ちにさせてくれるから「『KING OF PRISM -Shiny Seven Stars-』は凄い」と言い続けてきたわけだが、今回の第四章で描かれた『KING OF PRISM -Shiny Seven Stars-』10話から12話ははっきり言って「ヤバイ」。
凄いではない。「ヤバイ」だ。見ている最中は命の危険すら感じた。
これまでとは明らかに異質で、従来の価値観を根底から覆してしまうような恐ろしい何かがスクリーンに映し出されていた。
視聴から一日経過してもなお「ヤバイものを見た」という気持ちが心から離れない。そして「本当にこれをテレビで放送してよいものなのだろうか」と考え続けている。
見終わった後にそんな事を考えてしまうほど10話から12話は「ヤバイ」のだ。

特に「ヤバい」と感じたのは11話のプリズムショーだ。
サブタイトルから分かるように11話は一条シンにスポットを当てた回であるが、その表現はこれまでのどのプリズムショーよりも異質で、どのプリズムショーよりも凄く、そしてどのプリズムショーよりもおぞましい。
「一条シン」というキャラクターをああいうキャラクターであると設定し、今回そこを掘り下げると決めた時点で「そうなる」ことは理解できるが、それにしてもである。そしてそれを映像一つで「ヤバイ」と感じさせ、「理解」してしまう事が何より恐ろしい。
「今私は何を見ているんだ。何を見せられているんだ」という困惑の中、描かれているものの一つ一つのヤバさが脳に直接流し込まれているかのようにすぐに理解できてしまって余裕とともに「ヤバイ」以外の言葉を削ぎ落とされていく恐ろしさ。
凄さを語る際に「呼吸をするのも忘れる」「瞬きすらできない」と比喩することがあるが11話のプリズムショーを見ている最中の私はまさしくそんな状態であった。
開いた口が塞がらない。
呼吸すら忘れていた。
瞬きしている余裕すらない。
まさか「死ぬ」という言葉すら生ぬるいと感じる日が来るとは!
Twitterで公式アカウントが「ご無事でしょうか?」と心配するのも頷ける。あんなものを見せられて無事でいられるはずがない。「過呼吸起こして救急搬送された」「鑑賞中に心停止を起こした」とかそういうレベルの映像である。脇腹を刺したら救世主でも一度は死ぬというのに何度も刺すんじゃあない。こっちはただの人間だよ!

あそこまでの映像を作り上げてしまった京極尚彦には拍手を送りたい。
「京極尚彦のファンだ」と言い続け、氏の関わった作品は一通りチェックしている人間であるが、今回のプリズムショーは『プリティーリズム・レインボーライブ』以降の経験値が活かされているなぁと感じる。
特に『宝石の国』の経験値は強く感じた。あの『宝石の国』を経ての今回であるのならば、ああいう演出や表現も生まれよう。
それにしてもあそこまでのものを作り上げてしまうとは。そこだけは予想できていなかった。

そんなわけで四章の興奮冷めやまぬままここまで書いてきたが、言いたいことは一つである。

『KING OF PRISM -Shiny Seven Stars-』は最後までヤバイ。むしろ終盤が一番ヤバイ。

TV放送はまだ三話までしかされていない。今からでも十分に間に合うので是非チェックしてほしい。


なお「『KING OF PRISM』を楽しむためにはプリティーリズムシリーズを見たほうが良いの?」という話は定期的にされているが、ここまで追ってきて(かつ多数の人間を沼に突き落としていった人間として)「見ておく必要があるか」というと別にないと思っている。
「過去作を見ていると小ネタやオマージュ元に気づいて無限に面白くなる」程度だ。
第一今回も「初めて見る人」に向けて配慮されていることは一話や過去作の引用の仕方を見ても明らかだろう。
したがって「気になる」という人は他者の「○○を見てからにして」という意見に左右されず、「終盤のヤバさ」を自分の身で感じるために可及的速やかに見てほしい。


ところでたまたま深夜にテレビを付けたら12話が流れていて、最後まで見てしまった人が出てくる可能性があるわけだが、もし仮にそういうことになってしまった人に出会ったらこの言葉を送っていきたいと思う。
おめでとうございます。

プリズムの煌めきを広めるためによろしくお願いします。