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『響け!ユーフォニアム 誓いのフィナーレ!』を見て「久石奏」という猛毒にやられた

「見なければ!」と思いつつも、普段から利用している映画館では上映しておらず遠出しなければならない事もあって後回しにしていた『響け!ユーフォニアム 誓いのフィナーレ!』をようやく見る事が出来た。

良かった。素晴らしい作品だった。見に行ってよかった。

元々『響け!ユーフォニアム』自体、好きな作品だった。特に音へのこだわり方がTVシリーズの時点で大好きだった。普通のアニメだったらノイズになるので入れないような音でも『ユーフォ』にはある。その『ユーフォ』にはある何気ない音の一つ一つがキャラクターの実存性を生み、理論的ではなく感情的で、一言では言い表せないような複雑な感情を余すこと無く伝えられるのだと思っていた。
劇場版アニメへとプラットフォームを変えた最初の作品である『リズと青い鳥』は、そんな『ユーフォ』の音へのこだわり方と、山田尚子の「キャラクターに寄り添ってその繊細な感情を一つ一つ丁寧にレンズに収めていく」という作風と合致していて、見終わった後は「今の気持ちを言語化するのがあまりにも難しすぎるし、人類はこれを一言で表す言葉をまだ開発できていない」とすら思った。
完全敗北に近い状態であったが、今回の『誓いのフィナーレ!』は個人的にはここまでアニメとして制作された中では一番好きな話であった。というのも、今作の中核キャラクターを務める新入生・久石奏があまりにも好き過ぎたからである。

泣くに泣けなかった少女

久石奏は一言で言えば「泣きたい時に泣く権利も時間も与えられなかったキャラクター」だろう。
中学時代に先輩を押しのけて演奏メンバーに選ばれ、先輩の分も頑張ろうと必死に練習を重ねたものの結果は及ばず。しかし誰よりも一番悔しいであろう彼女には「頑張ったけれど結果が振るわなかった」という悔しさを誰かに慰めてもらうことも、涙とともに感情を全て流してしまう事も出来なかった。
その結果、彼女は「人間関係を上手く回すために一歩引いて立ち回ること」を覚えてしまった。それが自分も他人も傷つくことがない、一番賢いやり方だと信じて。

高校入学後の彼女はシリーズを通して主人公を務める黄前久美子に、自分と同じような部分を見出して近づいていくのだが、しかし黄前久美子は「泣けなかった」で、久石奏は「泣く機会すら与えてもらえなかった」と決定的に違うのだ。「本気で打ち込んでこなかったからこそ泣けなかった」と「本気で打ち込んできたのに泣くことが許されなかった」は「望んでいた結果を得られなかったのに泣いていなかった」という点でも同じでも、その性質は全く違うものなのだ。

涙の精算

そこの違いをはっきりと理解してしまってからの久石奏は「ヤサグレ感」とでも言うか、「よく気が利く可愛い後輩」という仮面を時折剥がしてくる辺りがキャラクターではなく一人の人間っぽさがあって大好きだった。
「この人なら理解してくれるのでは?」と薄々期待してたのに、話してみるとどうも自分が最初に抱いた印象と違うらしい。でも同じ部活なので距離を取ることも出来ない。そうなったら、ああいうのも理解できる。大人ではないので「感情を理屈で押さえつけて粛々と処理する」ということが出来ない辺りもいじらしい。
気がついたら久石奏を好きになっていた。

サンライズフェスティバルでの「はぁ~?」という期待値が底を割って心の底から呆れ果てた声。自分の事を理解してくれる人はいないと確信したからこそのあの中川夏紀の二年間をバカにした態度。「下手な先輩は存在しているだけで罪」という告発。そしてこれまでの「聞き分けのいい後輩」の仮面を完全に投げ捨てた「現実なんてこんなもの」と言わんばかりのやさぐれた表情での久美子との問答……。

最高だった。面白すぎた。
序盤から時折試すような事を言ってはいたが、まさかこんなに面白いキャラクターへと豹変するとは予想していなかった。特に「下手な先輩は存在しているだけで罪」は手加減する意識すら一切ないほど鋭い一言で、飛び出した瞬間心の中はスタンディングオベーション状態だった。

ただそこまでだったら久石奏はただ「性格の悪い美少女」で留まっていただろう。視聴してから時間が経てば経つほど久石奏のことしか考えられなくなるような遅効性の毒を発揮することはなかったはずだ。
ではなぜこれを書いている今も久石奏のことを考えているかというとクライマックスが久石奏にとって救いになっているからだ。
物語上のクライマックスは久石奏が中学時代の苦い思い出とそこから得た教訓とそこからずっと溜め込んでいた感情を吐き出し、それをユーフォニアム担当者全員で共有するシーンである。
結局のところ、彼女は自分の「悔しい」を誰かに理解してほしかったし、「頑張ったこと」を認めてほしかったのだ。
「誰よりも先輩の事を考えて頑張ったのに、その頑張りを誰かに理解してもらうことも、その努力が実を結ぶ事はなくて悔しい思いをした」のにも関わらず、中学時代の久石奏はそれを認めてくれる人も理解してくれる人も慰めてくれる人もいなかった。しかしながら高校に進学して出会った先輩――久美子と夏紀はそんな自分の過去の努力も全て認めてくれた。理解してくれた。
久石奏に感情移入していた人間としては、その事実だけでハンカチで涙を拭いながら「よかった……よかった……」と繰り返すしかなかった。

ありがとう黄前久美子。ありがとう中川夏紀。

二人のおかげで年相応の少女のような表情をするようになった久石奏が、バスのシーンで「悔しいに決まってる」と泣くシーンを見れた。中学時代に出来なかった事を、今度は出来るようになった彼女を見ることが出来た。
そして「この子が誰かに『悔しい』と言うことが出来て、誰かと泣きたくなる思いを共有できるようになるまでの話だった」ということを改めて理解し、深く静かに涙を流すのであった。

ありがとうを繰り返しながら。

毒が全身を巡っていく事を自覚しながら。

私は久石奏という猛毒にやられたのであった。

最後に

『リズと青い鳥』を踏まえてさり気なく挿入された傘木希美と鎧塚みぞれ。
色々な意味で良き先輩-後輩になった川島緑輝と月永求。
自分よりも実力のあって選ばれた者の背中を押す事が出来る加藤葉月と、その後輩達。
全体の時間こそそれほど長くないものの、短い中に詰め込まれた物語が濃厚でくらくらする。原作にまで手を出している友人によると「原作から相当削っている」ということなので、原作ではどうなっているのか確かめてみたくもある。だが、今の心境としては「まずはもう一度視聴したい」という方が強い。
久石奏の一挙手一投足まで見守りたいし、腑に落ちてない点がいくつかあるので納得するまで確認したいのだ。なんて幸せなことなのだろう。「もう一度見たい」と思えるなんて! もう一度見たいと思える作品に出会う機会なんてそんなに多くないはずなのに!

本当にいい作品だった。続きがあると思うので、この続きも楽しみにしています。

余談だが、スマートフォンの動画撮影を意識したカットが物語の進行を妨げない程度に挿入されている点は「等身大の高校生っぽさ」「ドキュメンタリーっぽさ」を上手いこと盛り込めていて面白く感じた。
本作は基本的に黄前久美子と久石奏の物語なのでそれ以外のキャラクターの描写はもちろん、日常風景は削られてしまっているが、ああいうカットがあることで「一人一人に物語がある」ということが伝わり、クライマックスの演奏の盛り上がりを補強していたように思う。

あれはよかった。本当に。

おまけ

入場特典で最高にエッジが効いていた頃の久石奏を引いた。

やったぜ。

プリズムの煌めきを広めるためによろしくお願いします。