『ドラゴンクエスト・ユアストーリー』見てきた

遅ればせながら『ドラゴンクエスト・ユアストーリー』を見てきた。
初日に見てきた友人の愚痴やSNS上での友人の感想などの断片的な情報から想像していた通り、どうしようもない映画だった。
クライマックスに登場する「ゲームはもう一つの現実だ!」も時代が時代なら先進的なセリフだったと思うが、『ポケモンGO』が老若男女にプレイされ、テレビや雑誌を見ればゲームのCMがほぼ確実に目に入り、『FINAL FANTASY14』を原作とした『劇場版ファイナルファンタジーXIV 光のお父さん』が公開された今現在において、「ゲームはもう一つの現実だ!」は「時代遅れ」も甚だしい。それを自信満々に提示してしまう点に制作陣の寡聞で浅薄な部分を感じてしまった。

一言で言えば、私にとっての『ドラゴンクエスト・ユアストーリー』は「浅い人間達が作った死ぬほどダサい映画」なのだが、これを「実写版『デビルマン』クラスのクソ映画」と呼ぶのは少々疑問が残る。
というのも、実写版『デビルマン』は「予算や時間や実力や技術力などが足りない中でも『デビルマン』を必死で作ろうとしたが、結果的にそこには到底及ばないどうしようもないものを作り上げてしまった」という事故の産物とでも言うべき映画だからで、『ドラゴンクエスト・ユアストーリー』の「どうしようもなさ」とはまた違うからだ。
前述した表現で言えば、クソ映画ではあるが実写版『デビルマン』はダサくない映画なのだ。
スタイリッシュとまでは言わないしクールだとも別に思わないが、少なくともやろうとするだけの気概は感じられた。届いているかどうかはともかくとして、少なくとも『デビルマン』という作品を二時間ほどの映像にしようと足掻いていた、と私は思うのだ(コレ書くために見直した)。

『ドラゴンクエスト・ユアストーリー』は明らかにやる気がない。
その証拠に終始「イメージだけで構築されたドラゴンクエスト5の物語」で進行するし、採用されたイベントも概要レベルで変更されているものもある。
そんな展開にしておいて「実はこの世界はゲームの中の出来事で、貴方はリメイクされると聞いてプレイしに来た現代日本のサラリーマンなんです!」みたいな事をやられても何の驚きもない。大ネタがそれならちゃんと『ドラゴンクエスト5』という作品を作り込んでからやるべきで、作り込む気がないくせにそんな事をやられても困惑しか沸かない。結果『ドラゴンクエスト・ユアストーリー』は何がしたいのかよく分からない作品になっている。役者の演技と国産としてはハイレベルなCGと単純なアクションはピントがあっているが、それ以外の点はピンボケどころか粗めのモザイクがかかった代物に仕上がっている。
これでよしとしたのは控えめに見てダメであるし、このレベルで丁度いいと思っているのなら観客を嘗めている。

やる気のない映像を一時間強見せつけてからの時代遅れのメッセージ。
それが『ドラゴンクエスト・ユアストーリー』なのだ。
そんな作品を実写版『デビルマン』を始めとする「クソ映画」にカテゴライズするのは、数多ありそして現在もなお生まれ続けるクソ映画と結果的にクソ映画を作ったマンになってしまったクリエイター達に失礼だ。「ゴミ」とかそういう二文字の方が適切だろう。あるいは「ダサい」だろうか。
何にしても「退屈すぎて怒りすら沸かないのに、肝心のテーマが時代遅れにも程がある代物で全身の力が抜けたままEDを迎えた映画」というのは、少々久しぶりに見た。こういう映画はたまに見ると「クソ映画の方が感情が湧くだけマシ!」って思えて安心するが、無い方が良いので今度からは見ないようにします。

最後に。
『ドラゴンクエスト・ユアストーリー』の音楽は歴代『ドラゴンクエスト』の楽曲になっているが、どの楽曲も使い方が下手にもほどがあるのですぎやまこういち先生はキレてもいいと思います。
具体的にはロトのテーマの使い方とか。
勇者登場に合わせる予定なら冒頭で使うのはただの馬鹿では?



プリズムの煌めきを広めるためによろしくお願いします。