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『KING OF PRISM -Shiny Seven Stars-』二人で作る「本物のスタァ・高田馬場ジョージ」な五話

『KING OF PRISM -Shiny Seven Stars-』は氷室聖率いるエーデルローズと、法月仁率いるシュワルツローズの物語だ。
ここまで放送された四話は全てエーデルローズのプリズムスタァが主役の物語が紡がれてきたが、五話となる今回からは法月仁とシュワルツローズの物語も紡がれていく。
そんなシュワルツローズサイドの物語の先陣を切るのは高田馬場ジョージだ。

高田馬場ジョージは前作『KING OF PRISM -PRIDE the HERO-』から登場したプリズムスタァ。作中ではシュワルツローズの象徴的人物として描かれているが、その歌はジョージ本人から発せられたものではなく、「池袋エィス」という少年が歌っている。
いわば高田馬場ジョージとは「二人で一人のプリズムスタァ」である。
それにも関わらず「俺の手柄」「俺が凄い」と誇示するジョージ。池袋エィスと、彼の人となりを知る者達からすれば「なぜこんな奴が」と思うわけだが、この五話は高田馬場ジョージが「本物のスタァ」である所以が描かれており、高田馬場ジョージの評価を高める凄い回になっている。

今回のキーワードは「本物のスタァ」だ。

完璧に演じる「本物のスタァ」高田馬場ジョージ


まず高田馬場ジョージは「生まれながらにしてスタァであった」というわけではない。「高田馬場ジョージ」という名前も、プリズムスタァとしてそう名乗っているだけだ。本名はまた別にある。幼馴染のミヨからは「ノリ君」と呼ばれていた。
岡山県の糸工場の息子として生まれたノリ君は、周囲からバカにされながらも「プリズムスタァになりたい」という夢を抱いていた。
彼の憧れのプリズムスタァは法月仁。どんな手段でも使ってでも勝とうとするその勝利への執念に心を惹かれたノリ君は「いつか東京に出て、法月仁に弟子入りし、本物のスタァになってみせる」という夢を抱いていた。

五話はそんなノリ君が高田馬場ジョージとして活躍している最中、故郷からミヨが上京しているところから始まるのだが、五話中盤を超えた辺りで高田馬場ジョージは「ミヨが自分に会うために上京してきたのは『今度結婚する』という話をするため」という事を知る。
割と酷い失恋の仕方である。
グラビアアイドルに手を出したりと女性周りに関しては色んな意味で愛の多い男として描かれていた高田馬場ジョージであるが、結局心の中には自分の夢を笑わないどころか最初から最後まで応援してくれていたミヨがいつもいた。
「愛が多かった事も「故郷への未練」を払拭しようとしていたのではないか」と推察することが出来るのだが、そんなミヨへの恋心はミヨから「今度結婚する」と告げられた事でジョージの意思とは関係なく精算させられてしまう。
だからPRISM1の楽屋でジョージはこれまで一度も見せたことがないほど落ち込んで周囲から心配されているわけだが、それでもステージでは自分の心とは関係なく完璧な「プリズムスタァ・高田馬場ジョージ」を演じきってみせる。
体調不良を失敗の理由として法月仁に奈落に落とされたYMT29のメンバーの嫌がらせにもめげず、彼は「歌が流れてこない」というトラブルにめげず、「エィスの事を信頼して」プリズムスタァを演じ続ける。

本物のスタァである。

誰かの笑顔のために、自分に課せられた使命のために、心をどれだけかき乱されても、どれだけ辛い目にあったとしても「プリズムスタァ・高田馬場ジョージ」を演じ切る彼は紛い物などではない。「本物のスタァ」である。

そんな「自分に課せられた役割を懸命に果たそうとする高田馬場ジョージ」だから、ジョージにどれだけぞんざいに扱われていても池袋エィスは「自分の役割」を果たすことに真剣になる。

プリズムスタァ・高田馬場ジョージ。

ノリ君が夢を込めて「俺は高田馬場ジョージだ!」と宣言したその男は、紛れもなく本物のスタァであった。

自分の役割を受け入れて前へと進む「スタァ志願者」池袋エィス


高田馬場ジョージを「本物のスタァ」とするのなら、彼のゴーストシンガーを務める池袋エィスは「スタァ志願者」と言えるだろう。
高田馬場ジョージがリーダーを務めるプリズムスタァユニット「The シャッフル」の補欠メンバーである彼は、「なぜ高田馬場ジョージばかり!歌は自分が歌っているのに!」という思いを募らせていた。
一言で言えばエィスのジョージへの感情は「嫉妬」なのだろう。
歌わないため一人ではプリズムショーが出来ないにも関わらず栄光も名誉も称賛も高田馬場ジョージが全て持っていく。
エィスに与えられるものは何もない。あるのは「補欠メンバー」「高田馬場ジョージのゴーストシンガー」という役割だけ。ジョージ以外のThe シャッフルのメンバーは同情してくれるし応援してくれるが、ジョージは「それで当然」という態度を崩さない。「なぜあいつだけ」となる気持ちも当然だと言えよう。

今回の五話は高田馬場ジョージを主役だが、ジョージのゴーストシンガーである池袋エィスが本物を学んで成長していく物語でもある。

今まで池袋エィスは高田馬場ジョージを自分がいなければ本物ではない「紛い物のスタァ」だと思っていた。
しかし彼は本物だった。どれだけ夢をバカにされても信じ続けて努力を重ね、周囲が求める理想のスタァの姿を演じ続ける彼は本物のスタァであることを知ってしまった。
だから池袋エィスは「なぜあいつばかり」と嫉妬するのを辞めることになる。ジョージが自分に与えられた役割を精一杯こなすのであれば、自分もジョージのゴーストシンガーとして自分に与えられた役割を精一杯果たす事を心に誓った。

そうした意味を込めて描かれたのが「ジョージのプリズムショーを破壊して、紛い物のスタァへと落としてやろう」とするYMT29のメンバー達との決別だろう。
ジョージは確かに歌えない。しかし周囲が自分に抱く「本物のスタァ・高田馬場ジョージ」の夢を守り続ける。
エィスの歌声が聞こえてこないにも関わらず、彼は口パクでステージの上で完璧なパフォーマンスを繰り広げる。なぜなら彼は「高田馬場ジョージ」なのだから。

そんなエィスとジョージが二人で作り出すステージはこれまでの最高点を取るに相応しいものだろう。互いが互いの役割を懸命に果たし、二人で一人のプリズムスタァを完璧に作り上げているのだ。完璧なのだから高得点なのも当然である。

「なぜ」と嫉妬するのではなく自分の役割を果たすことに専念したエィス。
どれだけ心をかき乱されるような事があっても完璧を演じ続けたジョージ。

このステージこそが「高田馬場ジョージ」にとって最初のステージだったのかも知れない。

法月仁はなぜエィスを認めたのか


ところで五話のエピローグにおいて、法月仁は高田馬場ジョージのソロデビューさせ、池袋エィスがThe シャッフルの二代目リーダーに任命する。
これまで池袋エィスは「補欠」だったにも関わらず、なぜ法月仁はエィスをThe シャッフルの正式メンバーにしたのだろうか。
作中で具体的なセリフがあったわけではないが、私はこう考えている。

「高田馬場ジョージに嫉妬し、自分に与えられた役割以上のものを求めていた池袋エィスが、自分の役割を精一杯にこなしていたからだ」と。

法月仁は完璧を求めている。誰よりも完璧で、誰よりも正確無比なパフォーマンスを求めている。
しかし池袋エィスは高田馬場ジョージに嫉妬するあまり、「ゴーストシンガー」という役割を完璧にこなすことはできなかった。
だが、五話で描かれたような経験によってエィスは自分がジョージのような「本物のスタァ」にはなれない人間であることを知った。ジョージこそが本物であることを強く理解した。
だから彼は「高田馬場ジョージ」というプリズムスタァに「歌」というピースを嵌め込む事に全力を尽くした。
そんなエィスの「自分の役割を強く理解し、それ以上を求める事無くそこに全力を尽くした」という姿を見たから法月仁はエィスを認めたのではないか。私はそう思うのだ。

なおこの五話から法月仁周りのエピソードは増えていき、徐々にではあるが彼が変化していく姿が描かれる。その12話で描かれた彼の行く末は少し苦味を帯びたものではあるが、彼の変化は『KING OF PRISM』という物語を構成する重要な要素の一つ。まだ見てない方はもちろん、二度目三度目の方も注意深く見ていこう。

最後に

なお「高田馬場ジョージのプリズムショーが機材トラブルにつき中断する」というのは舞台版の大阪公演で起きた停電トラブルが下地になっているようだ。
舞台版は「高田馬場ジョージ」という男が鮮明になった作品ではあるのだが、そこで起きたトラブルを「本物のスタァであることを証明する要素の一つ」として拾い上げる五話のシナリオには舌を巻く。初めて見たときは「高田馬場ジョージ、あまりにも格好いい……」と涙を流してしまった。EDで坪田文脚本と知り、「またつぼふみさんに泣かされた」と悔しさを覚えたりもした。悔しい!

TV版のEDは大方の予想通り「JOY」。これ以外あり得ないだろう。

さてさて次回はミナト回。五十嶋波介・五十嶋舟子という危険極まりないネタがあるが、ミナトにとっては大切な回。プリズムショーもこれまでとは一風変わったものになっているのでTVで見るのが楽しみだ。



プリズムの煌めきを広めるためによろしくお願いします。