雀力のグラデーションを彩るフレームワークとオリジナリティロジック


2つのシステム

脳には2つのシステムが搭載されている。

その名もシステム1とシステム2だ。

システム1の機能は「直感」だ。

これは自動的に働き、本人が稼働を自覚することはない。努力不要で常に働いている。例えば大きな音が鳴ったときにその方向が分かるとか、2+2が即4だと分かる、あるいは話している人の声色から瞬時に機嫌を察することなどはシステム1の働きによるところである。

対してシステム2の機能は「熟考」だ。

これは複雑な知的作業を要す際に意識的に働き、注意力を多く使う。例えば34×17を計算したり、意図的に普段より速いペースで歩こうとしたときに働く。ある文章が論理的に正しいか検証するときなどはシステム2が高稼働する。負荷がかかり、到底他の知的作業をマルチタスクで行うことなどできなくなる。また、システム2の重要な機能の1つとして、システム1が出した解が妥当かを確認することもある。

システム1は高速かつ自動的に動く。この機能のおかげで人間は瞬間的な危機から逃れて(例えば部屋にいきなりナイフを持った男が現れたらあなたはそれが誰か・なぜか・どうすればいいかなど考える前に即逃げ出すはずだ)きた。しかしシステム1は速度・自動性と引き換えに正確性に欠けている。ゆえに人間の瞬時の判断はときに簡単に誤った結論を導く。

1つ有名な実験画像を載せる。

これはミュラー・リヤーの錯視と呼ばれる非常に有名な錯視画像である。

この画像、左右に付いている矢羽を除いた線分の長さは上も下も同じである(実際に測ってみるとよい)。しかし、人間の目には上の線の方が長く見える。

この画像をみて、「上の方が長い!」と瞬間的に感じるだろう。それがシステム1の働きである。その後「あ、でもこれは本当はどっちも同じ長さってやつだな」と考える。それがシステム2の働きである。

システム1は自動で機能するため止めることができない。あなたがこの画像について、2つの線の長さは同じだと理解していたとしても、第一感として「上の方が長い」と感じること自体は止めることができない。常に落ちついて「でも、本当は同じ長さなんだよな」とシステム2を起動させないと誤りを正せない。これがシステム1が誤った解を導き出し、システム2がその修正を担当するという意味だ。このシステム1の誤りをバイアスと呼んだりすることもある。

チェスの名人は難解な盤面を見ても一瞬で「良さそうな手」を挙げることができる。優秀な消防士は消化現場で焼き崩れる床を瞬時に判断し、訓練を積んだプログラマーはコードをさっと読むだけでクサい(バグが起きそうな)部分を指摘できる。これらは素人目に見ると非常に高度な直感に見える。

彼らのような訓練を積んだ専門家はシステム1とシステム2を高速で回すことで状況判断・意思決定をする。これを認知心理学では認知主導的意思決定と呼ぶそうだが私はそこまで詳しくないのでこれ以上の言及は避ける。重要なのは人間の認知判断は2つのシステムから成るということだ。

ここまでは(私の認識が間違っていなければ・古くなければ)単純にそういうものだ、という話だ。より詳しく知りたい方はこの本を読むとよい。なお下巻もある。

ここからは個人的な考えの話になる。一意見であって正確な情報ではないのでふーん、という感じで読んでほしい。

麻雀におけるシステム化

チェスの名人が直感で良い手を導き出すのと同様に、麻雀の強者も直感で良い手を選べるはずだ。そのメカニズムはどうなっているのか。これもシステム1とシステム2で説明できるように思う。

例えばこんな手は即1mに手がかかるだろう。これは恐らくシステム1を使っている。非常に簡単な判断なのでそこにかかる認知的負荷は微小だ。なので同時並行的に25mの残り枚数を確認する等の余裕もある。

一方でこんな手であれば即判断するのは難しい。即判断できるかは普段から牌効率を鍛えているかどうかで結構変わるはず。人によってはシステム1で済むが、システム2を稼働させる人も結構いるだろう。

このようにある判断をする際に

・システム1のみの稼働で済む人(それもある程度正しい判断として)

・システム2の稼働までしないといけない人

に分かれる。

強くなるためによく「(場況判断等複雑な認知判断をするためにより簡単な部分は自動的に思考するために)麻雀をシステム化する」というような言葉が使われることがあるが、これはシステム2で行なっていることをシステム1でも行えるように訓練する、という意味になる。

麻雀が強くなるということ

麻雀が強くなる、というサイクルには4ステップあると思っている。

1.「知らない」から「知っている」へ

2.「知っている」から「理解する」へ

3.「理解する」から「できる」へ(システム2)

4.「できる」から「自動的にできる」へ(システム1)

ステップ1ではまず知識を取得する。ルールを知っているとか、セオリーを知っているとか、なんかそのセオリー読んだことあるな、聞いたことあるな、というような状態だ。モロヒ筋って意外と危ないらしい、とか、間四ケンというものがあるらしい、みたいな状態だ。

ステップ2では知識で知っているだけではなく、ロジックレベルで知識を理解する。なぜその知識が存在するのかをきちんと理解している状態だ。つまり246とリャンカン形は受け入れを優先すると最後まで維持されやすく、リーチ宣言時に6が切られると3が待ちになる。だからモロヒ筋は他の筋より危ない、という理屈を理解するステップ。このステップは結構飛ばされることがある。ロジックを知らなくても知識だけでなんとか真似はできるからだ。ここを飛ばすと量産型デジタルとか揶揄されたりもする。

ステップ3で知識のロジックの理解から実践できるかどうか、という段階になる。つまりモロヒは危ないと分かっていてなお、実戦において相手のモロヒに気づいた上で適切な押し引きができるか、という段階だ。ここをクリアできればひとまず知識を身につけた状態になる。ここをクリアできないと「戦術に詳しいが実戦ではあまり生かせていない頭でっかちなプレイヤー」になる。ここをクリアするには意識的な実戦を多く重ねることが重要になる。

そして最後、ステップ4では実戦での知識の稼働を自動化する。それまでシステム2で行なっていた処理をシステム1レベルで処理する。相手のリーチを見て瞬間的にモロヒの危険度を理解して押し引きをする。多分このレベルになると「あ!これは3がモロヒに該当するな!」とか思わない。リーチに対してふーんと思いながらモロヒを加味した押し引きを考えるレベル。

ちなみにステップ4までいくと意識的に順序立てて思考しているわけではないので言語化に時間がかかったりするように思う。

例えば相手の捨て牌を見て「この牌(を押すのは)はさすがにヤバイ」とよく言ったりするがこの「ヤバイ」は話者によって意味の開きが大きくあったりする。つまり全然捨て牌の意味を理解してなくノリや雰囲気で「ヤバイ」と言うケースと、圧倒的な知識経験から捨て牌読みがシステム1レベルで働いているが故に本人がその危険度に言及しようとするとまず「ヤバイ」という単純な言葉になってしまうケースだ。前者のヤバイは全然ヤバくないが後者のヤバイは本当にヤバイ。

話が少し逸れたが、上達のサイクルとして、

知らないことは再現してできるようにならないのでまず知らない部分の知識を正しくつける。これがステップ1,2の段階で、座学や牌譜検討が有効になる。

知っていてもできなきゃ意味がないというのがステップ3と4の段階で、ここは恐らく対局経験を積むことが重要になる。

システム2の限界

なぜ自動的に思考できることにこだわるかというとシステム2の稼働には簡単に限界が来るからだ。

対局中に「自分の手は結構良形が残っていていいぞ、うまくリーチできればマンガンまでみえそうだな、あ、赤出た時だけ鳴くか?あ、テンパネもするかも、てかこの形前に本で見たな・・・」的なことを考えていると余裕で親のヤバイターツ落としを見落としたりする。ひどい時にはドラポンに気づかなかったり染め手にすら気づかず突っ込んだりしてしまう。私はよくある。

なのでシステム2での稼働は最低限に抑え、場を見ることに集中する。特にシステム1にやらせたいのは自分の手に関することで、システム2で受け持ってよいのは場に関することである。

つまり先の例での長い思考を「はいこの手こんな感じね」だけで終わらせ、あとは場を見て「親ターツ落としだな」とか「ドラポンで手出しは〇〇ね、ちょっとやばいな」という思考になる。

ちなみに「親ターツ落としだな」の中には「だからそれ以前に切られている牌のまたぎは割と通せるな」がシステム1として圧縮されている。

システム2での思考経験を反復することでシステム1に昇華させシステム2の空きを稼ぎ、その空きに新たな思考を投入しそれをまたシステム1に圧縮し、、の繰り返しである。

フレームワークとオリジナリティーロジック

長々と書いてきたがなんとこれからが私が一番言いたい部分である。

システム1とシステム2と上達について説明してきた。

大事なことなのでもう一度確認するがシステム1は直感的であり、自動的であり、高速であり、ある種形式的である。

そしてシステム2は熟考的であり、意識的であり、低速で、ある種応用的である。

この2つを駆使して認知判断をする。

この2つのような概念モデルは実は麻雀の技術にたくさん散らばっているのではないか、というのがこの記事での本題である。

うまく言葉にしにくいが、「システム1orシステム2」のモデルは例えば「平面牌効率or立体牌効率」「単純な押し引きor点数状況を考慮した押し引き」「テンパイまでの速度orアガリまでの速度」などなどの対比概念に近いんじゃないかと思っている。

システム1が高速で働きシステム2がその判断を監視するように、平面牌効率がパッとわかる人でも立体牌効率になれば平面牌効率での答えをまずそのままで良いか?を判定しだめだったらより深く考える。

単純な押し引きはある程度基準がありシステマティックに判断する人も多いが点数状況を考慮した押し引きとなればその点数状況に応じて高度な処理が必要になる。

さらにある程度のパターン化された点数状況での押し引きは圧縮して対応できる人も多い(システム2をシステム1に昇華している)。

要は純粋な知識部分(フレームワーク)と実戦での思考力(オリジナリティーロジック)との区分けであり、いかに多くの思考を純粋な知識として扱い実戦での思考力を生かすか、という話になる。

これは微妙にフレームワーク=システム1、オリジナリティロジック=システム2、という意味ではない。似てはいるが。

知識として扱う、というのは画一化した結晶として扱うのであって実戦での思考はより細かく柔軟な部分になる。強くなれば強くなるほど細部を思考することになる(大きな部分は知識として扱うので)。

雀力はグラデーション的なはずで、大きな知識、小さな知識、柔軟な思考力で彩られる。

強くなればなるほど正解に近くはずなので、正解という型があり、それにフレームワークとオリジナリティロジックで近づく。大きい知識も小さい知識もある。思考力は小さくて少ない方がよい(より細かく洗練されるし、発揮されやすい)。

それを図にするとこんな感じである。

なんか気持ち悪い図になってしまった。

潜在的な正解に相当するのが赤い雲のようなの図である。うまく輪郭を彩れているのでこの図の人は相当強い。

この図の輪郭を角ばった知識(フレームワーク)と丸い思考力(オリジナリティロジック)でうまく形取らないといけない。麻雀の正解は基本的にはわからないので雲の形も実際にはわからない。なんとか雲の形にしようと細かいパーツを集めていき、パーツを増やしたり減らしたりしながら理想の形になるように形とっていくことになる。

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