思いをすり合わせることの大切さが、忘れられているような気がする

 コンビニに行ったとき、一言もしゃべらずに買い物を済ませることができる。近所の人のことを知らなくても、挨拶しなくても、毎日が過ごせる。そんなことができてしまう世の中になってきている。

 半面、あおり運転とか、ちょっとしたトラブルとか、すぐにケンカになってしまうとか、お互いに折り合いをつけるのが下手になっていないだろうか。

 それはやっぱり、人と人との思いをすり合わせる経験が、地域から、生活から、どこからも少しずつ無くなってきているからだと思う。

 人と人とは、考えていることは違う。でも、それって、話し合って初めて分かること。だから、話し合って、思いをすり合わせていくことで、ようやく分かること。そうやって自分と人とは考えが違うから、話し合わなきゃって思うようになる。

 人と人が挨拶したり、笑顔を交わすから、人の気持ちに気付くことができる。お隣さんからきゅうりをもらったら、うれしい。次に思うのは、何かお返ししなきゃ悪いな、という気持ち。

 人と人とが思いをすり合わせることは、色々な考えをもっている人がいることに気付き、相手の気持ちに触れることができること。でも、それがどこからも、少しずつ無くなってきているのは、なぜ?

 オーダーメイドな生活。自分の都合でネット予約したり、見たい番組はユーチューブでいつでも見られる。人と遊びにいかなくても、楽しみも自己完結できる時代。とっても便利になったのに、そのせいで、人と人とが思いをすり合わせる必要がなくなってしまっているんだ。

 ラインをするより、会いに行く。お隣さんを見かけたら、挨拶をしにいく。そんな、いつもより少しだけ遠回りをして、人とのかかわりを探しにいこう。思いをすり合わせることは、人を知ること。そして、さっきよりもお互いを知ることができたことを喜び合えること。

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