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出版社が作家さんの本をだすのは利益のため? 才能への敬意?

 もうすぐ『水の岬』を出版される。ぼくが面白いと感じて、影響を受けた作品が「本」というカタチになることがとてもうれしい。

 ぼくは本を書いて誰かに読んでもらうことを生業にしている。本来なら、自分の本を書くことに専念したほういい、って思われても仕方ない。

『水の岬』の出版費用で大枚をはたいたので、久しぶりに貯金も0円になった。いまは財布にある5000円ほどが全財産だ。ふっふっふ。

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 ぼくは作家といっても大きな出版社からでて、大きな書店にぼくの本が平積みされることはない。有名な文芸誌にぼくの記事が連載されることもない。若いときに出版社に持ち込んだり、公募に投稿したりもした。
 8年前。当時は漫画を描いた。持ち込んでも貶されるだけ。精神的にいいことは何もない。「担当になってもいいから、また持ってきて」という編集者さんもいたが、その人が気に入りそうな漫画を描かなきゃと思うと、げんなりして全然描けない。ぼくは全く漫画家には向いてないんだと思い込んでいた。
 そんなときにある有名な写真家の人が、ぼくの漫画を読んでくれる機会があった。スタジオでその人の写真を見せてもらった。ジミ・ヘンドリックスなど、ぼくが大好きなミュージシャンの写真がたくさんあって興奮した。写真のなかのミュージシャンや漫才師は生きている躍動感に溢れていた。

「あんたは才能あるね。それを見抜ける編集者がいないだけの話や」

 ぼくの編集者に貶されまくった漫画を読んで、その写真家さんはそう言ってくれた。

「編集者って出会いやからなぁ。相性いい人と出会えたらいいけど。そんなもんに期待せんと、誰かに読んでもらえる環境を、自分でつくったらいいんや。道とか本屋とかに勝手に置くとか。わっはっは。それは極端な話やけど。ないなら自分でつくるっていうのが、わたしのやり方やね。ぼくもミュージシャンの写真を誰に頼まれた訳でもないけど、外国のライブハウスに潜り込んで勝手に撮ってたもん。まずは動くことや」

 それからすぐ、仲間と一緒に『モンスター』というウェブ・マガジンをつくった。ぼくと、ぼくのような作家さんの閉ざされた道を切り開くために。全国で誰もが知っているような有名な作家さんはいない。それでも多いときは1日に1000を越えるアクセスがあった。有名無名は関係ない、作品の力があれば、届けたい人たちに作品は読んでもらえることがわかった。ぼくは作家さんに対してとくに意見したことはない。8年間の歴史で3度だけダメ出しをしてしまったことがあった。上手くいかなかった。
 いいとことを見つけて褒める。モンスターに集まる作家さんはそうすることで、どんどん作品が面白くなった。悪いとこや欠点を見つけて、批判するのは簡単なことだ。それよりも、まだ作家さんが気がついていない才能を見つけだしたいと思った。

 ぼくはもちろん自分の作品も、モンスターで発表した。それをクラウドファンディングなどで支援を集めて出版した。リトルプレスよりもっと小さいプライベートプレスとして。1タイトルだすと500部くらい売れるようになった。多いもので1200部ほど売れた。5年で5冊を出版して年間で1500部くらい売れるようになった。月収にすると20万円くらいかな。住んでいるのが田舎だから、十分に暮らせていける額だ。作家を生業にするという自己実現のスタートラインには立てたかと思う。
 ここからが大変かも知れないが、プレッシャーはあんまりない。ぼくはただ、毎日、心から書きたいと思えて、その行為が楽しく(もちろん苦しみもふくめた)つくるってことを追求したいだけだ。それが結構難しいけど、この自分との戦い方(仲良くする方法かな?)を、それぞれが見つけることだと思っている。
 作品をお金に変えるのは、じつはそんなに難しいことではない。コツがあるってだけであんまりそこに哲学もない。そんなことより作家は、自分の作品に哲学を存分に注ぎこむべきだ。承認欲求の塊のような、ソーシャルネットワーク社会の住人にはならない。SNSはただ道具として使えばいいだけだ。社会の外側にある自分との向き合いこそが大切になる。自分の内なる声に耳をすますこと。それは世界の声を感じることでもある。声という直観に入り込んだ作品は、誰かのもとにもひろがっていく。

 モンスターで出会ったのが今回『水の岬』を出版することになった原田淳子さんだ。原田さんは以前、メジャーの漫画誌に掲載をしていたけど、上手く描けずに挫折してしまったということを教えてくれた。ぼくたちは、原田さんが大好きな少女漫画を書いてくださいとだけ注文して、自由にのびのびと描いてもらった。
『砂の番人』『水の岬』二つの連載をしてもらった。もちろん、面白かったし、どちらも反響の多い作品だった。けっしてわかりやすい漫画ではないと思う。ぼくも理解でききれていない部分もあるだろう。ただ読んだときに、そういった理解を越えた何か感触のようなものが、身体のなかにぐぐっと染み込んでくるような温度を感じた。もしかすると『水の岬』は漫画でも詩でもなく、水なのかもしれない。ぶくぶくと潜って読むとしっくりくる。水のなかは静かだ。それにカオスだ。そしてやさしい。

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 ぼくは『水の岬』連載の中盤あたりから、この物語を本にしなければと使命感のようなものを強く持った。そして、連載が終わったときに「出版したい」と声をかけた。原田さんは快諾してくれた。
 
 ぼくにとって『水の岬』を出版することは新たな挑戦だ。作家がやっているプライベートプレスなんだから、既存の出版社と同じことをしても仕方がない。ぼくは作家さんにプレシャーのない状態で創造に没頭してほしかった。
 まず〆切をもうけないことにした。本を販売した利益の7割は作者である原田淳子さんに渡す。少部数なので、ぼくの手元に入ってくる利益は再販の費用くらいにしかならない。ぼくが『水の岬』を出版したい目的は利益のためではない。面白いと心から思っている作品に対する敬意をはらった。それが真の「投資」だと思っている。
 いま若い作家や、これから作品づくりに没頭したい人たちに、「投資」がなされることはほとんどない。大きな出版社から本を出しても、作家に入ってくるのは本の売り上げの1割くらいだ。このパーセンテージじゃ、何万部も売れないと生活できない。それに本を書いたはずの作者が出版社より、配当がすくないなんてどう考えてもおかしい。会社は利益を追求する場所だから? まあ、ぼくの考えていることは極端かもしれない。中には出版の現場で戦っている人もいるだろう。でもいまのシステムじゃ、どう考えても根っからの強者じゃないと作家も長くつづけられない。競争社会に参加するのは、もううんざりだ。
「お金」「発信」「創作」が三つ巴になって、作家が成立するってみんなが思い込まされている。なかでも「お金」「発信」が作家にとって大切だよっていう競争邪教の教えが満映している。ほんとうにそうだろうか? 「お金」「発信」が楽しいって人はどんどんやったらいいと思う。でも少しでも辛いなら、ぼくたちにとってそれは正解じゃない。もっともっと自分の奥底にある創造の世界へアクセスすべきだ。

 原田さんとこんな話をしたこともないし、本人がどう思っているかわからない。ただ、ぼくの印象だと、創作以外に付随する余計なことを、なるべく考えない状態になったとき、彼女はとんでもない力を発揮する。そんな確信があった。
 この『水の岬』を読んだ人ならわかってくれると思う。ぼくの確信は間違ってなかった。紛れもない名作が誕生した。もうすぐ本になって手元に届く。この瞬間に立ち会えて、こんなにうれしいことはない。原田さん、機会を与えてくれてありがとう。人生でかけがえのない経験をすることができた。

 ということで、あとはお金の心配をぼくがしたらいいだけです。ふっふっふ。
冒頭でもいったけど、久しぶりに貯金が0円になった。いまは財布にある5000円ほどが全財産だ。奥さまにも借金をしてしまった。この文章を最後まで読んでいるあなたは、きっとやさしいな人なんだと思う。照れなくてもいい。うふふふ。えっ! 今度はあなたがぼくたちに投資するって? うそでょ? 本を予約してくれるの! そんな人がいるって信じてる! あなたみたいな人が増えたらこの、ギスギスした社会はきっと、まあるい世界に変化する。

『水の岬』を読んだとき、ぼくたちは湧きでる泉を発見するだろう。わたしたちは水であるってことを、忘れているだけなのだから。

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 17日までにご予約いただけると、特典3ページ漫画『その列車、水の岬 行き。』をPDFファイルで添付させていただきます。
 今後、この特典漫画はネットや書籍化して読むことはできません。
購入希望の方は、お早めにご予約をお願いします。

漫画『水の岬』ご予約の詳細はこちらです↓
https://note.mu/mizunomisaki/n/n9ad03f59cc8b

どうぞよろしくお願いします。

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