インタビュー「"すごい人たち“」


フリーライター武末明子が、「この人、すごい!!」と感じた人物にインタビューするシリーズ。
初回のインタビュイーは、飲食業界に旋風をまきおこしているこの方です。


        NO.1 「株式会社 鯖や」 右田孝宣氏


「〝とろさば〟を世界ブランドにする!」
 熱い理念が、人の「心」をつかむ

「とろさば」というブランド魚を知っていますか?

「とろさば」とは、東北近海でとれる体重550kg、脂質21%以上の「さば」をさします。真さばの脂質が12%前後なので、いかに脂ののった魚かがわかりますよね。このブランド魚の名づけ親は、「株式会社 鯖や」代表の右田孝宣氏。

右田氏は2014年、全メニュー「とろさば」の鯖料理専門店「SABAR」を大阪にオープンしました。その後は、わずか1年半で京都、東京へと進出。今年はシンガポールへの出店も決まり、全10店舗を展開する予定です。

飲食業界に彗星のようにあらわれた「鯖や」。急成長の背景と、「とろさば」にかける右田氏の熱い〝おもい〟に迫りました。


うまくいっているのは、
徹底してマスコミ戦略をとってきたから


―お忙しいなか、閲覧数のほとんどないwebの取材におつきあいいただきありがとうございます。右田さんは、これまでたくさんの取材をうけていますよね。


右田氏 さっきも、テレビ局の取材をうけていました。ほとんどが「おまえ、なんでそんなに〝さば〟にこだわってんねん」という切り口ですね。


―「鯖や」は、マスコミ戦略にとても長けているとおもいます。


右田氏 素人に毛の生えたていどから飲食店をはじめて、うちがうまくいっているのは徹底してマスコミ戦略をとってきたからです。
東京初進出の恵比寿店では、開店して1ヶ月で113媒体のメディアにでました。広告換算費は8,800万円。のべ3億3,000万人の目に触れていることになります。


―メディアにとりあげられたいオーナーは多いです。取材が殺到するコツはあるんですか?


右田氏 やっぱり、尖った1つのコンセプトを徹底してやっていくことだとおもいます。「SABAR」は38メニュー、38席、オープン、クローズとも午前・午後 11時38分の「いい38(さば)タイム」。徹底して「38(さば)」なんです。
また、さば寿司のデリバリー用バイク「サバイク」をつくったり、毎年3月8日には「サバ博士検定」をおこなったりと、話題づくりを怠りません。


―ほんとうに徹底しています。でも1つに特化するのは、当たればいいですがそうでないときのリスクが大きくないですか?


右田氏 みなさん、リスクを分散しようといろいろなものに手をだすから、結果としてリスクを抱えるんです。中途半端が一番まずい。
味や店づくりは大切です。でも、それはみんながやっていること。たとえば、「イベリコ豚はどんぐりだから、うちは栗でそだてた豚をだしています」っていったら「えー?」ってなりますよね。
まずは、そうしたマスコミの一歩先をいく努力をすることだとおもいます。


ぼくらのゴールは
とろさばを世界ブランドにすること


―「鯖や」が「とろさば」一本にしぼったのも、そういう理由からなんですか?

右田氏 というより、ぼくらのゴールは飲食店を成功させてお金儲けをすることじゃない。「〝とろさば〟を世界ブランドにすること」なんです。
だから、どんなに繁昌しても国内は38店舗まで、海外は38カ国。飲食店は、さばを世界ブランドにするための「アンテナショップ」という位置づけなんです。
いまはあえて「在庫管理」も「売れすじ分析」もしないでやっていけるか試しているところです。とにかく、はやいうちにリスクを負いたいので。

―はやいうちにリスクを負えば、失敗してもおおきな痛手にはなりにくいですよね。だから2年間で10店舗をオープンさせることにしたわけですね。

右田氏 3店舗目で京都、4店舗目で東京進出なんてふつうはありえない(笑)。でも、人ってうまくいくとすぐ調子にのるでしょう?それで足もとをすくわれるんですよ。だったら、気合いが入っているうちに躓いたほうがいい。


「さば」と「嫁」がシンクロするから
ぼくは「さば」をいつまでも追っている


―疑問なのは、「それがどうして〝さば〟か?」ってことです。さばは大衆魚で、「栗をたべる豚」とはちがいます。

右田氏 ぼくが「とろさば一筋」になるまでには、紆余曲折を経ました。実はぼく、19歳まで大の魚嫌いだったんですよ。

―まさかの?!

右田氏 うちの母親が魚の、とくに生魚の〝くさみ〟をひきだす天才だったんです。でも19歳のとき、ひょんなことから魚屋に就職することになって、そこで知った生魚がおいしくてたまげました。

―ギャップが、より魚への好奇心へとつながりそうですね。

右田氏 そうなんです!それからは魚にはまってひたすら勉強しました。

―右田さんは、海外の寿司店ではたらいていた経験もあるとか。

右田氏 もともと貿易に興味があって、海外で働いてみたかったんです。たまたまオーストラリアにいけることになり、日本人が経営する寿司店で働きました。
そこの社長はすごいビジネスセンスの持ち主で、ノウハウを一から学ぶことができました。

―その社長の影響が、いまの経営手腕につながっているんですね。

右田氏 でも、すぐに活かされたわけではないんです。帰国後はほんと、散々でしたから。なにをやってもうまくいかず、当時は嫁のヒモ状態。
でも反骨精神だけは人一倍あって、「ぜったい10年以内に海外でビジネスをおこしてやる!」と決めていたんです。

―だから、「世界ブランドをつくるんだ!」と。

右田氏 そうです。その後は嫁と、シャッター街でちいさな居酒屋をはじめたんですが、それがおもいのほか盛況だったんです。ある日、店で人気だった「さば寿司」に目をつけた嫁が、「あなたの料理で1番おいしいのはさば寿司だから、これ1本で商売してみたら!」といいました。それも1度や2度じゃない、1年くらいかけてクロージングされて・・・。
「嫁がそこまでいうならやってみようかな?」とおもって、鯖寿司の販売店をはじめたんです。

―きっかけは、奥さんでしたか。

右田氏 はい。だから、ぼくの中ではいつも「嫁」と「さば」がシンクロするんです。嫁はいちばん苦しい時代を支えてくれた人ですから。「彼女のためになにができるか?」って考えるのと同じように、〝さば〟のことも考えています。だから、こんなにも「さば一筋」なんでしょうね。


理念に損得がないから、
人は「応援」したくなる


―その後は、販売店とともに飲食店もはじめられました。どうやって、多店舗展開の資金をあつめたんですか?

右田氏 「クラウドファンディング」の存在を知ったんですね。

―クラウドファンディングですか!

右田氏 「SABAR」のイメージはあったので、直感的に「鯖料理専門店」と「クラウドファンディング」があれば、「マスコミがくるな」とおもいました。そして一気に3店舗を立ち上げることにしたんです。

―はじめから3店舗とは大胆ですね。実際にやってみてどうでしたか?

右田氏 出店する場所も決まっていないなか、目標金額を3店舗3,500万円と掲げました。1店舗目が1,800万円、2店舗目は1,000万円、3店舗目は700万円に設定して。MS(ミュージックセキュリティー)で出資をつのると、すべて目標金額に達したんですね。それだけニーズがあったってことです。

―すごいことです。クラウドファンディングで飲食店ができてしまうなんて。

右田氏 クラウドファンディングにむいている飲食店って、「めちゃくちゃ料理で修行した人が、すごくリーズナブルな値段でたべてもらいたい」とか、ぼくらみたいに「〝とろさば〟一本で世界ブランドをつくる!」という、しっかりとした理念のある会社なんです。ビジネスはシンプルであればあるほど伝えやすいし、消費者にも伝わりやすい。損得でやっていないから、投資家は「応援」したくなるんです。
飲食業界には「右みて繁昌しているからやろう」って考えの人がすごく多い。でもそれでは難しいでしょうね。

―それでいうと、今後は「とろさば」もマネされるのではないですか?

右田氏 そうしたら、ぼくらがメーカーとしてとろさばを卸していきます。レシピもつけて。

―レシピまでつけるんですか?

右田氏 だって、しょうもないレシピで「とろさば」のブランド価値を下げられたくないですから。どうせマネするんだったら、良いサバをつかっておいしい料理を提供しなさいって。

―それでこそ「さば愛」というか・・・。「鯖や」をモデルに、クラウドファンディングで飲食店をはじめる人も増えそうですね。

右田氏 実はすでに次の手は打っているんです。大手町に「とろさば食堂」という定食屋スタイルの店を出したんですが、そこは日本初の「クラウドファンディングのCSRショップ」なんです。


日本初のCSRショップで
クラウドファンディングのすそ野を広げる


―CSRショップ。どんな方法で社会に貢献しようと?

右田氏 クラウドファンディングって、いまは入口の金額ばかりが注目されていますが、3万円が3万3,000円になって投資家に還元されているところはまったく知られていないんです。でも、それではマーケットは広がらない。
そこで投資価値を「見える化」しようと、投資家優待をつくりました。投資家の半数は関東在住者でしたから、「いつきてもらっても10%引き」にして。すると、またマスコミの注目度もたかまりますよね。

―なるほど。ネットと口座間のやりとりだけで完結していたクラウドファンディングが、アナログの実店舗に足をはこぶとなると、ぐっとクリアリティを帯びます。

右田氏 「とろさば食堂」は今後も、クラウドファンディングで立ち上げていきます。店長の顔写真や情熱をつたえるコメント、さば博士検定何級か、などもアップし、投資家が自宅ちかくの店舗に投資できるシステムをつくります。


とろさばの「養殖」に成功
世界に羽ばたく「総合商社」を目ざす


―すごくたのしみですね。ところで、「〝とろさば〟を世界ブランドにする」というビジョンはどう進めていくんですか?

右田氏 うちがシンガポールに出店できたのは、「ほんものの日本食を世界にひろめよう!」という意図で、クールジャパンが日本企業を誘致したからなんです。うちは、その16店舗に選ばれたんですね。
いま、アジアでは生で「さば」をたべる習慣はありません。でも、ぼくは「とろさば」をいちばんおいしい「刺身」でたべてほしいんです。だからJR西日本と組んで、アニサキスフリーの「さばの養殖」を行っていたんですよ。今年、ようやくそれが完成しました。

―アニサキスというと、生のサーモンや生のさばにいる寄生虫のことですよね?

右田氏 はい。人にも感染するので、国内でも「さば」はこれまでほとんど刺身では食べられてこなかった。

―でも「SABAR」ではすでに、天然の「とろさば」の刺身を提供しています。どうして「養殖」で勝負しようと?

右田氏 「養殖」は、天然資源の保護とか安全性から海外ではみなおされているんです。それに、天然魚のライバルは大勢いますが、養殖ならぼくらのオリジナルになる
まずは、オリジナルの養殖魚を海外で広めて、ASEANに「サーモン、まぐろ、とろさば」といわせたいですね。そして、それを日本に逆輸入したいんです。

―壮大なビジョンです。でも、右田さんならできるような気がします。

右田氏 ありがとうございます!総合商社になって、とろさばを世界ブランドにするようがんばります。

―ありがとうございました。



フリーライター 武末明子 
<エピソード>
「日本橋でどうですか?」。右田さんにいわれ、私が指定したのは「コレド室町2」1Fの「LA BONNE TABLE(ラ・ボンヌテーブル)」という、カジュアルフレンチのレストラン。
インタビューにあらわれた右田さんは、「さば」と「さばへの情熱」が大きくプリントされたTシャツを着ていました。
そして、「お店ってここだったんですね~。実は、こんどこの地下に『SABAR』をオープンするんですよ」とにっこり。

右田さんは「人たらし」です。人懐っこい大阪弁と鋭い「ビジネス眼」、そしてそのパッション。そして軽妙なトーク!右田さん自身が「さば」にはまっているので、「さばの話」をわくわくしながらしてくれるんです。

おいしい料理、すてきな人とする熱いトーク。ああ、やっぱりインタビューはやめられない。






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