無駄
無駄を削ぎ落とすことを『善』としている人は、一体何を求めて生きているのだろうか。
自分は、無駄でないものをそぎ落とした方が、よっぽど価値があると思う。
無駄というのは、無限の可能性を秘めている。
無駄ということは、何にも染められていない。今の所なんの意味もなしていない。
だから、どんな意味にだって染められるし、染め方も自由自在なので、そこから結果を出すのだってきっと容易い。
例えば、ゲーム機を買ったとしよう。
ある人からみたら、それは無駄遣いと言われてもおかしくはない。
でも、ゲーム機は本当に無駄なのか?
確かに、ゲームをやることによって直接お金につながるかといえば大概はそうではない。
でも、確実に人生を豊かにするものではある。
ゲームをやったことによって、リフレッシュして他のことが捗るかもしれない。
ゲームから学んだ判断力で、良いアイディアを形にできるかもしれない。
仕事と違って、これをやれば確実にこれだけ成果を得られるというものはないが、"かもしれない"の世界では、たくさんの可能性がある。
そして、それらの"かもしれない"は、確実に成果を得られるものから生まれないことが多い。
無駄の先に、面白さが転がっている。
俺は直接会って話す打ち合わせが好きだ。
直接企画会議をすると、雑談やどうでもいい話を挟むことができる。
そして、俺は絶対にその、本筋とは全く関係のない話を何個かする。
相手方に、無駄な話はおいといてと言われて遮られることも結構ある。
でも俺は、特に面白いことについて考えるときは、これこそが大事だ思う。
先ほどの話のゲーム機のように、これこそがたくさんの"かもしれない"を生み出し、100%ではないが、ここからとんでもない豊かなものが生まれることだって結構ある。
多分これは、関係のない話をすることによって、自分も相手も一旦脳がリセットされて、今までのことを客観視できるという仕組みのおかげもあるし、単純にそのどうでもいい話の中に、アイデアが隠されてるパターンもある。
いずれにしろ、メリットにつながることが多い。
無駄なことを、無駄と切り捨てるのではなく、その先の可能性を見つめることができるくらい心にゆとりがある人は、脳の使い方がうまい。
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