日本人の英語能力評価及び今後について

英会話学校の宣伝はどこに行っても見かけ、以前より英語の重要性が叫ばれて久しいですが、日本人の英語力は世界的に見て、どの程度と評価されているのでしょうか?

世界で語学学校を展開するEF Education First社(本社スイス)が算出するEF EPI(English Proficiency Index)に基づく最新の国際比較ランキングによると、英語を母語としない88カ国・地域中、日本は49位となっている(2018年11月に発表された報告書に基づく)。

順位的には2017年の37位から更に低下し、レベルとしても「Low(低い)」英語能力と評価されているが、一向に改善されない一般的な日本人の英語能力の実情を示していると言えるだろう。

人口規模も英語話者の数も異なる国同士を比較して、第何位かを並べたランキングの順位そのものにはあまり意味はないが、同一基準による他国との比較により、日本が国際的に見てどの辺りにいるのかを掴むことは出来る。「High(高い)」レベル以上とされる上位27ヵ国が、言語的に英語と近い欧州諸国で占められるのは、ある意味仕方ないこととしても、日本語と同じように英語からかけ離れた言語を第一言語とするアジア諸国の英語力との比較においても、後塵を拝しつつある。国際的な人材獲得競争においては、不利な環境にあることが明示されているといえるだろう。

アジア内に絞ったランキングを見ると、上位5位までは英米の植民地経験のある国・地域であり納得性がある。しかし、特筆すべきは「(Moderate)中位」とされた韓国(31位)で、1997年度に小学校3年生から英語を必修科目とした効果もあり、英語能力という点で、日本は大きく差をつけられている。

台湾(48位)は、順位こそ日本の後ろではあるが、2018年12月、2030年までに台湾を中国語と英語のバイリンガル国家にするとの「雙語國家化」政策へと大きく舵を切っている。台湾は、既に2005年度より小学校3年から英語を必修化しているが、今後、英語教育開始時期の更なる低学年化が予想される。

各国が英語力向上に力を入れるのは、国際競争力の維持・強化の為である。

貿易業務や国際投資業務、諸外国動向に関する情報収集や分析業務に携わる人材の育成という観点は、従来からあるが、内需が十分にある国では、本当の意味での英語需要は少なく、これら特定業務に携わる一部の人材の英語力さえ十分なレベルに達すればよかったといえる。

日本と異なり、韓国のように内需が十分でなはない外需依存の国は、海外で活躍出来る人材を育成せざるを得ず、そのような人材となるには英語力習得は死活問題である。そのため、韓国が英語の能力において先行しているのは、自然なこととも言える。ただしこれも一部の人が恩恵に与る構図には変わるが無い。

EF EPI のレポートの冒頭でも触れられているが、世界の英語話者(約17.5憶人)のうち英語を第一言語するいわゆるNative Speakerは約3.9憶人と全体の4分の1未満であり、英語は世界公用語としての地位にあるのみならず、英語話者と非話者の経済格差は広がることが明確になっている。英語能力(English Proficiency)習得の有無が活動可能な範囲と経済的な地位を決める力を持っている。

これほどまで英語の重要性が増してきた背景には、グローバル経済の進展という構造変化に伴う新たな英語能力需要がある。日本でも外国人旅行者(インバウンド需要)が劇的に増加し、国内での英語需要は増えているが、観光業に限らず、多国籍企業を中心とする外資の人材募集も増え、英語力が高くないが故に国際的な給与水準から見て低いITエンジニアが魅力的に映る状況になっている。

日本企業も優秀な海外人材の獲得が必要な場合や国際チームを組む場合、英語ベースでのコラボレーションが必須要件となり、付加価値を生み出す上で大きな英語力需要がある。

日本は、今後伸びる需要に対する能力開発という観点でも、実践的な英語力の習得が求められている。もっとも英語だけ出来る英語バカでは意味が無い訳で、既存の能力の上に、コミュニケーション能力の基礎としての英語力が必要とされている。

日本では、2020年度から全国の小3・小4で「外国語活動」がカリキュラムに組み込まれ、小5・小6で「英語教科」が必修となる予定であるが、単なる早期英語教育の推進といったレベルの話ではなく、実需に基づく、国の政策変更が実行に移される時期に来たと評価すべきだろう。

なお、AIの進展もあり、翻訳ツールは精緻なレベルに到達しつつあり、英語を含めた外国語学習不要論もある。しかし、現実を見ると、英語と日本語間の翻訳については、完全な克服が困難な言語構造的な問題があり、英語と欧州諸語間との翻訳との比べて精度が劣る。主語が省略されることの多い日本語は文脈依存で、話者同士の人間関係にも依存するからである。それらを無視して無理やり翻訳しても、結局は原語を辿らないと理解不能な結果が量産されることになる。結局、日本語を話すにも、英語に訳されることを意識した表現方法を取らないと、円滑なコミュニケーションは望めないのである。

一般に外国語学習は、母国語の使用だけでは気づくことの出来ない新たな領域や物事の捉え方を通じて、学習者本人の認知力や言語能力そのものを高める効果がある。安易な翻訳ツールへの依存は、逆効果となる。もっとも、状況の限定されたその場でのコミュニケーションや、試し訳という意味では、翻訳ツールが活躍する場面もあって良いと思うが、重要なことは、英語力を身に着けた本人が、世界に直接触れることの出来る機会が増えることで、本人の認知能力そのものが鍛えられることの方にある。さらには、高齢になっても認知症の進行を遅らせる効果があるとの研究成果もあり、健康寿命を延ばせることが期待できる。

教育の効果が社会に還元されるのは、20年以上経ってからとされるが、今般の英語教育の強化が、日本の国際競争力の強化といった国全体の視点だけでなく、長期的な視野に立って、個々の日本人の知的能力の向上や健康寿命の増進に寄与していくことになることを前向きに評価したい。