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【タイの故郷を訪ねて】スコータイ訪問記(5)

どんなに頑丈に作っても、いずれは朽ちてしまうのが形としての「建造物(アーキテクチャー)」だとすれば、その一方で、どんなに時が経っても耐えて残るものがあります。

私は、それはそこに住む人々の「心(ハート)」の有り様を映し出す「美術(アート)」だと思います。

3重の城壁と濠に囲まれたスコータイは「旧市街」と言われるだけあって、遺跡群からなる国が管理するスコータイ歴史公園部分だけでなく、今も実際に人が生活する居住区からなっています。航空写真を見ると、右3分の1程度が市街地になっているのが分かります。

その一角に「サンカローク焼」と呼ばれるスコータイ産の陶磁器を売るお店がありました。窯は主にスコータイ県の北部にあるシーサッチャナーライという町にあったのですが、「サンカローク焼」の名は、シーサッチャナーライの旧名称である「サンカローク(またはスワンカローク)」から来ているそうです。

「サンカローク焼」と日本との縁は古く、日本の室町時代から戦国時代にあたる14世紀~15世紀頃に盛んに輸出され、中国の商人により日本へ持ち込まれたそうです。江戸時代になって鎖国するまで続いた朱印船貿易ですね。

「スワンカローク」の漢字音写である「宋胡録」を日本では「すんころく(寸古録)」と読み、茶器として扱われたことから、戦国時代から茶道が普及し注目を集めるようになりました。

そういえば戦国時代を題材にした歴史漫画でも、茶室でお香と炊く茶道具として「すんころく柿香合」が出ていた気がします。なお、形を見て、日本では「柿」と名付けられましたが、実際にはマンゴスチンの形を模したものだったようです。

江戸時代には茶人に広く持て囃されるようになったわけですが、これも歴史を紐解けば、13世紀にラムカムヘーン大王が中国から陶工を呼び寄せて生産を開始したことが、後に文化産業として花開くことになったそうです。

それにしても、旧市街のアートな通り。なかなか愉しませてくれます。写真に撮ってみましたので、是非ギャラリーをお楽しみください。

ラーマーヤナがテーマになっているものが多く、美術についてはあまり仏教的な感じがしません。「タイは仏教国だ」と思っていると、ベースにある美意識については思わぬ誤解をしてしまうのではないかと思いました。

あと、スコータイは、木製家具の産地です。そもそも陶器を窯焼きするにも燃料となる木が豊富にないと成り立ちませんから納得です。

今回、工房にも少しだけお邪魔しました。

工房の片隅に、職人さんが暇なときに作ったという帆船模型が置いてありました。

トゥクトゥクもありました。木のぬくもりに、なんだかホッとします。

そして、アートな街には、やはりオシャレなカフェが似合います。

しばらくの間だけでも、美しさに時を忘れていたいものです。


(6)に続く