石垣に 松を見上げて 春近し
今日の昼休みは、殆ど人のいない東御苑のあちらこちらで陽を浴びている梅の花を愛でながら、ゆるりと歩いておりました。
明暦の大火で焼け落ちた後、江戸城天守閣を再建すべく加賀藩が築いたという土台。その横(と言ってもかなり距離がありますが)のベンチが陽だまりになっていたので、お弁当を拡げてみました。
弁当箱の下に敷いたのは、昨日買った国立近代美術館の民藝の100年展の特設ショップで売っていた再生素材で作ったというトートバッグです。カラーが青空のように鮮やかで、ちょうど弁当の梅干しが梅の花のように映えて見えますね(笑)
ベンチに腰掛けた際、後ろに人の気配がしたので振り返ると、手入れの最中の植栽の間でミニショベルカーの座席に乗ったままお食事中のおじさんと目が合いました。
座る位置を少しずらして木の陰に隠れ、おじさんの視野に入らないにましたが、おじさんも同じような風景を見ながらランチしていた筈です。
食後に石垣を触れるくらいに寄って見上げてみました。そして、目を閉じて圧倒的な石の存在を感じ取ろうとしてみました。すると、こんな意味の意識が心の奥底から湧き上がって来ました。
帰宅中、電車の中で樹木の研究者の著書を読んでいたところ、樹木の赤い実は身の軽い鳥達に枝を折られず食べて貰い、種を遠くに運んでもらうための共生の仕組みでだったが、元々は赤と青を色別出来なかった人類の祖先が突然変異で見分けられるようになった結果、枝を折ってでも実を取る人や猿達にその味を知られてしまうことになったそうです。
青と赤のコントラストというのは、そんな人類発祥の所以に無意識に繋げ、人を自然と哲人か詩人にしてしまうのかも知れませんね。