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【タイ】コメ担保融資制度を巡る政治的扱い

連載「【タイ】コメ担保融資制度の政治利用の経緯と今後の行方」(全5回)の第4回では、今日現在、軍政下において、同制度がタイにおいて政治的にどのような扱いを受けているのかを2014年5月のクーデター前後から現在までの報道資料をベースに明らかにする。


1.インラック政権下での混乱

 2011年8月に発足したインラック政権は選挙公約として掲げた大衆迎合策を実施し、最低賃金の大幅値上げ(全国一律300バーツ)や、高い水準でのコメの価格支持(普通米は全品種一律15,000バーツ/トン)などを通じて、農村部で強い支持を得る一方で、タイの輸出産業の競争力や国庫財政への悪影響を懸念する都市部のインテリ層、財界から懸念や批判の声が挙がっていた。

 2013年10月末、タクシン元首相の帰国問題に関わる恩赦法案が下院を通過すると、ステープ元副首相が率いる反タクシン派連合による反政府デモが首都バンコクで拡大。同法案は11月に上院で否決されたもののデモ隊は解散せず、コメ担保融資制度を巡る財政負担の拡大や不正の蔓延も攻撃材料としながら、インラック政権の退陣を求めてデモ活動を継続した。本格的な政治不安の再燃である。

 コメ担保融資制度の財源は枯渇し、同年10月には農家への支払いが遅延しはじめた。本来は政権側の支持層である北部・中央部の稲作農民が、コメ担保融資制度のもとで籾米の質入れを行ったにもかかわらず融資が供与されないとして、道路封鎖などのデモを行う事態に発展する。そもそも、農家の資金繰りを助ける為の制度(第1回ご参照)なのであるから、不満が爆発するのも当然である。

 2013年12月9日、インラック首相は辞任を表明し下院を解散。下院選挙の投票日は2014年2月2日に設定され、内閣は権限を大幅に縮小し、選挙管理内閣となった。しかし、反政府デモ隊側は選挙は公正に行われないとして選挙をボイコットするとし、内閣の退陣と国民評議会への権力移譲を求めてデモを続けた。

 選挙管理内閣となったことで内閣の権限が制限された為、2007年憲法で定められた独立行政機関の権限や発言力が強まった。例えば、選挙管理委員会が、安全に選挙が実施出来ないことを理由に選挙の延期を勧告したほか、選挙管理内閣としての政権に、コメ担保融資に必要な資金借入を許可する権限を有するのかについて疑問を呈し、違憲判断された場合、責任は政府にあると表明した。また、国家汚職防止取締委員会(NACC)は、コメ担保融資制度に関連する不正でインラック首相を含む数名の政治家の捜査を開始し、2014年5月初めには、首相の罷免を求めて上院に告発していた。インラック政権が自ら権限を早期に手放すよう、直接・間接に政治介入しようとしたのである。

 2014年2月2日、反政府グループが選挙妨害を行った結果、多くの選挙区で投票できない事態となった。結果として総選挙は政治対立に決着をつける機会とはならず、次の総選挙日程すら決められないまま、コメ担保融資の再開に向けた資金調達の目途が立たなくなった。この間、資金繰りに困った農民は闇金融に手を出す者が続出し、社会問題として被害が拡大していく。

 タイの混乱は、軍が直接介入する5月22日のクーデターまで続くことになったが、クーデター直前のタイミングで、政府が担保として受け取った籾米は計1163万トン(融資相当総額は1910億バーツ)まで積み上がっていた。5月15日時点までに農業・組合銀行(BAAC)を通じて政府が融資支払いを完了していたのは、81.3万戸向け609万トン(996億バーツ)分のみで、未払いは約80万戸向けの552万トン(914億バーツ)分に及んでいた。※1バーツは当時3.2円程度。

 軍政は、治安の早期回復と、国民和解の為のプロセスを進めるといったが、コメ担保融資制度による籾米の高値買取りをあてにしていた農家からすると、「国民和解のプロセス」ではなく政府が約束した「籾米代支払いのプロセス」であったと言ってもよい。

 2013年末時点でタイの家計負債の対GDP比率は8割を超えていたが、BAACの融資窓口調査結果によると、農家が受け取った融資金の約7割がそのまま債務返済に充てられている。タイ人の間では、政治的信条を巡る対立が深刻化していたのではなく、単に借金で首が回らなくなった農民達が金を求めて、日当500バーツが出るデモ隊に参加しにバンコクに出稼ぎに行くか、収めた米代を早く支払えという抗議運動に参加していただけなのである。


2.軍政下での事態収拾(農民への支払い)

 2014年5月22日(木)にプラユット陸軍総司令官率いるNCPOが全権を掌握すると、軍政は、即時、全省庁の事務次官を当面大臣代行にするとした上で、財務省によるコメ担保融資制度向けの資金調達計画を承認、BAACの自己資金を活用し、籾米を質入れした農民への早期融資金支払いを指示した。結果、クーデター明けの5月26日(月)から農家への支払い業務が再開された。また、軍政は1カ月以内に財務省が責任を持って全額を支払うと表明。実際に6月18日に完了した。

 軍政が、同制度による融資供与の実施を優先課題として対応したのは、数カ月にわたり融資を受けられず資金繰りで苦境に立たされている農家をいち早く支援することにより、農民からの軍政への支持獲得に繋がると判断したからである。また、政治体制が「民主主義」的であるかよりも、体制が何であれ腐敗の無い「安定した政情」こそが重要であることを認識を農民に持ってもらうという思惑もあったと言えるだろう。

 なお、資金調達目途が立ってからの軍政の動きは、同制度を巡る不正の追及、インラック前首相を刑事訴追する方向で加速される。これは、タクシン派による権力掌握を阻止するための権力闘争の一環であると言える。


3.農民への支払い後の資金調達

 クーデター後、財務省は、軍政の意向に従い、タイ国内の金融機関から500億バーツの融資に対する確約を取り付け、残る約400億バーツは、BAACが財務省が保証する社債(BAACは国営なので実質的には公債)を発行することで調達した。これらは、積み上がっていた未払い金の支払いに充てられたが、資金調達は1年未満のつなぎ融資で賄った為、以降軍政は複雑化した資金繰りの整理に奔走することになる。

 クーデターから半年後の2014年11月には、クーデター直後に政府貯蓄銀行(GSB)から借入れた500億バーツ(貸出金利2.1791%)を返済する為の長期公債を発行。内訳は、期間3年10カ月(年利2.75%)が420億バーツ、同7年(年利3.01%)が80億バーツであった。

 年明け2015年の1月12日には、2014年6月12日に3行から調達した400億バーツ(バンコク銀行間取引金利BIBORの前後0.5~1.0%の2.3%前後での調達)のつなぎ融資返済分を含め、合計1000億バーツの公債購入を募集。内容は、財務省が発行する10年債(発行額500億バーツ)と、BAACが発行し財務省が保証する5年債(500億バーツ、利率3.8%)の2種類で、10年債は当初3年の利率が3%、4~7年が4%、8~10年が5%というステップローンである。


4.不正捜査

 資金繰りを見た後は、制度運用における不正の実態について見ていく。コメ担保融資制度における農家への融資窓口であるBAACは、累積で約7800億バーツを超える債務を抱えることになるが、本来は籾米の販売で回収するはずの融資金が、次々と明るみに出る不正の発覚により、担保としていた籾米の価値が毀損、不良債権化した。制度運用の為の運転資金の調達と、それに伴う金利負担に加え、事業損失そのものが巨額であった。

 クーデター前の時点でも、280万トンの籾コメの行方が分からなくなっており、汚職追放委(NACC)が不正調査を始めていた。また、2014年の5月初めには、職務怠慢があったとして、上院にインラック前首相の弾劾請求を行ったことは前述の通りである。

 軍政は2014年6月13日、軍を動員し、7月より全国1,800カ所(あるべき保管量は約1,800万トン)の政府米保管倉庫を調査することを決定。政府米の移動を禁じ、担保として引き受けたコメの量・品質について報告内容と実態調査の結果を照合することになった。汚職追放委(NACC)はこれと並行し、刑事責任の追及を主眼とした調査も開始した。

 まず軍は、東北地方の300カ所以上の倉庫で、大規模調査前に証拠隠滅が図られないよう倉庫への人の出入りを禁止。次いで全国の倉庫を短期間で検査する為、軍のほか、制度を所管する商業省、農協省のほか、財務省、汚職追放委員会(NACC)からなる100の調査チームを編成した。

 調査は45日間で完了、一部の品質調査等にはさらに時間を要したが、9月中旬に出した調査結果では、在庫コメの保管状況とともに多くの不正が発覚した。

以下、報道内容に基づき、発覚した不正の手口を見ていく。

1)倉庫からの横流し

2014年6月29日付のバンコク・ポストによると、タイ中部パトゥムタニ県の倉庫で、本来保管されているはずのコメ13万袋のうち、9.1万袋(6,900万バーツ相当)がなくなっていることを突き止められた。

2)偽装・隠蔽工作

倉庫からの横流し以外にも、関連業者による水増し請求や偽装行為が横行した。例えば、2014年8月頃にテレビでも盛んに取り上げられたが、ある倉庫では、コメを詰めた袋がうず高く積み上げられ、一見すると、倉庫全体がコメで満たされたように見えるが、実は中心部分に空箱が積まれ、コメ袋をその周囲に積んでいた。さらに一部倉庫では、証拠隠滅とみられる放火も発生した。

3)古米および近隣国産のコメの混入

北部ピチット県では約1.4万トンの在庫があるはずの倉庫で、実際の保管量が8,900トンしかなかったことが判明。保管されていたコメには新米ではない古米も含まれていた。このほか、近隣国で収穫されたコメがタイに持ち込まれていたという疑惑も指摘され、軍政はコメのDNA検査も実施し、不正追及を行った。

4)杜撰な品質管理

2014年8月10日付のバンコク・ポストの報道によると、コメの管理状態が杜撰なケースがみられ、例えばアユタヤ県の倉庫ではコメが床に散らばり、コメ袋からは昆虫やネズミの死がいなどが見つかったという。


5.後始末

軍政は、1,920万トンまで積み上がったとされる在庫米を、当初、市場価格に影響を与えないように月間50万トンずつ売却することを試みたが、これでは一切の新規受け入れ分が無いとしても3年が掛かる計算となり商品価値が棄損することが確実な計画であった。

 結局は、想定価格よりも低い価格で大量処分されることになり、帳簿上の数量と合わない「紛失した分」と合わせた累積損失金額は、2004年度から2014年度までの確定分だけで、6,820億バーツの累積赤字(除く金利負担)となった。

 BAACの債務は、在庫米の一部売却後でも補助金分を含めると総額で7,800億バーツにのぼり、負債の利払いだけでも、年180億バーツに上ることになった。政府は長期的なインフラ投資計画の原資を損なわないよう、当該債務を30年かけて返済する計画とし、30年国債の発行も検討されることになった。

 損失額の集計結果は何度も見直されたが、最終的には2014年9月までの6,870億バーツ(金利負担含む)に、2014年度分(2014年10月~2015年9月)の損失額の概算見積り金額を合算すると最大8,000億バーツ(約2.5兆円)規模に達した。


6.インラック前首相を刑事訴追へ

 2015年1月下旬、立法議会(暫定会議)での弾劾審議で弾劾決議が可決され、インラック前首相の政治活動が5年間停止されることになった。また、2015年2月、タイ検察当局はインラック前首相をコメ担保融資制度に絡む職務怠慢の罪で刑事訴追した。軍政によるクーデター(武力による政権奪取)のみならず、反タクシン派として軍政に加担する、司法当局、立法府からも責任を追及されることなった。

 検察当局が提出した起訴状は、2015年3月19日に最高裁が受理し、5月19日に初公判が開かれた。これに対し、インラック前首相は、2015年9月末、検事総長は資料や証拠、証人を十分に調べないまま起訴を決めたとして、訴追請求を行って対抗した。

 法廷の場での決着には時間が要することになった為、2016年8月の国民投票で信認を受けた軍政は、2016年9月、インラック氏に対して357億バーツの賠償を命令した。これは、”コメ買取り政策に関する調査委員会”が出した、インラック政権下での無理な農業補助政策により総額約2,860億バーツの損失が生じたとの報告を受けた措置であるが、裁判手続きを経ず、暫定憲法44条の首相絶対権を根拠に発令されたものである。このほか、政府間(GtoG)コメ取引に絡み、ブーンソン元商務相ら5人に対して、中国政府との間で架空のコメ取引(実際には政府にではなく中国企業に対して輸出)を行い、多額のキックバックを受けたとして200億バーツにのぼる賠償命令も出されている。

 調査にある程度の時間を掛けた上での処置とはいえ、これらの軍政による対応は、政治活動資金を枯渇させることで実質的にタクシン派の影響力を排除することを目的としており、極めて政治的な動きと言える。

 当然、これらの強権的な動きに対して、「民主的でない」とする反発はあるが、治安維持と政情安定を旗印に絶対権力を握る軍政の前に、表面的には不穏な動きは沈静化している。逆に言えば、潜在的な反発機運が水面下でくすぶっているともいえ、軍政側からテロ警戒情報も出されるなか、何をトリガーとして、どのような形で不満が噴出するのか、これらの背景を理解した上での警戒が必要である。


(5)につづく


<参照した報道資料>

■2014年
5月28日 The Daily NNA タイ版 第04760号
6月16日 The Daily NNA タイ版 第04773号
7月4日【バンコク時事】コメ担保融資の不正調査スタート=9月中旬に結論
7月8日【バンコク時事】コメ担保融資の不正、続々=偽装工作も発覚
7月14日【バンコク時事】1800万トン、3年間で売却=在庫コメ処分-タイ商業省方針
8月10日【バンコク時事】コメ担保融資の不正調査、8月中に報告書=不衛生な管理明らかに
9月18日 The Daily NNA タイ版 第04837号
10月1日 The Daily NNA タイ版 第04846号
10月30日【バンコク・ポスト】コメ担保融資の債務返済で30年国債発行へ
11月14日【バンコク時事】累計6800億バーツの赤字=コメ担保融資制度の収支-タイ財務省

■2015年
1月23日【バンコク時事】インラック前首相を刑事訴追へ=コメ融資制度でタイ検察
3月20日【バンコク時事】インラック前首相、5月に初公判=コメ担保融資めぐる刑事裁判
9月29日【バンコク時事】検事総長の訴追請求=コメ担保融資の起訴めぐり-インラック前首相

■2016年
3月9日 The Daily NNA タイ版 第05196号
9月21日【クルンテープ・ジャーナル】元高官らに、巨額の賠償請求
9月28日【クルンテープ・ジャーナル】コメ疑惑で、更に賠償請求へ
10月11日【クルンテープ・ジャーナル】財務省が、前首相に賠償請求へ
10月21日【バンコク時事】インラック氏に1000億円請求=コメ担保融資損失-軍政

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