見出し画像

インドの経済政策の狙い(3)

2016年11月の高額紙幣の無効化宣言(連載第1回で取り上げました)以降、2017年7月1日には統一GST(4つの基本税率5%、12%、18%、28%)導入(連載第2回で解説)され、12月1日にはAadhaar(アーダール)カード(インド版マイナンバーカード)の取得が義務付けされました。

Aadhaarカードとは、インド固有識別番号庁(UIDAI)が2010 年に導入した国民ID 制度に基づき、インド全国民を対象に12 桁の固有番号を付与し、国民一人一人の名前、住所、性別、生年月日、顔写真、目の虹彩、手の指紋(10指)を関連付けた、生体情報付き国民IDカードのことです。

導入から6年半の2016年末の時点で国民の95%が取得し、2017年12月には、インド国内居住者である在留外国人も取得が義務付けられました。

在インドの日本人社会でも、取得しないと銀行決済が不可能になると話題になったのはこのタイミングの直前ですが、社会的なインパクトとしてはほんの一側面を見ているに過ぎません。

1.社会的な活動機会の付与

日本人にとっては信じがたいことですが、2009年までのインドでは、国民のおよそ半数が身分証明書といえるものを一切持たないだけではなく、出生証明書さえないという状態でした。

身分証明書がなければ、銀行口座を開設することも、保険に加入することも、運転免許証を取得することも出来ません。即ち、生まれた村落共同体を離れて社会参加するチャンスが、ほぼゼロであったことを意味しています。身分証明書にあたるAadhaarカードの配布は、事実上の市民権付与ともいうべきインパクトがあるわけです。

2.最先端のビッグデータプロジェクト

日本で「マイナンバー」といえば、税務署が個人の所得や収入を一括で把握する為の名寄せの手段、個人にとってプライバシーを侵害するもの、企業にとっても個人情報漏洩リスクの高いハイリスクなもの、として必要以上に忌み嫌われてしまっていますが、インドでは、Aadhaarプロジェクトは、世界で最も野心的なビッグデータプロジェクトの一つとしてグランドデザインされました。

そもそも「Aadhaar」という言葉には「基礎」や「支持」という意味があり、社会基盤整備の一環として位置付けられています。また、なりすましによる金融取引の被害を防ぐ手段を構築することもプロジェクトの主な目的とされており、アメリカの社会保障番号のように単なる個人識別(ID)番号とは違って、登録情報による本人確認や生体認証が可能な仕組みとなっています。

言葉で書くと簡単そうですが、実際には、10億人以上のデータを保存・処理するための安価でセキュアな格納場所の確保や、インドの田舎のように通信インフラが整っていない地域からのアクセスでも対応可能な通信の仕組みに加えて、採取したデータの精度を確認するための分析手法や、一日に何百万件も発生する照会要求に遅延なく応答できる処理能力など、さまざまな課題に対応する必要があり、それらを具体的に解決する中で、最先端のビッグデータ処理技術が開発され、活用されています。

つまり、ビッグデータ技術の開発という側面だけを見てもAadhaarプロジェクトは、インドを一気に最先端に引っ張る牽引役の役割を担っているわけです。

3.インディア・スタックとの連動

Aadhaarプロジェクトの影に隠れてしまっている感がありますが、インドはデジタル化に向けたもう一つのプロジェクトとして「インディア・スタック(India Stack)」を2016年にスタートさせました。

インディア・スタックとは、国民の住所、銀行取引や納税申告に関する情報、雇用記録、医療記録などのデータを保存し、共有するためのシステムのことです。Aadhaarを通じてアクセスし、情報照会が可能になっており、デジタル社会の基盤として活用されています。

2015年1月にMasterCardが発表した報告書によると、インドは2012年時点でも決済における現金の割合が約87%を占め、デジタル決済システムへの移行の準備が最も遅れている国の一つとされていたそうです。

僅か5、6年でも、隔世の感が否めません。

4.金融システム自体の改善

金融システム自体の非効率さや、税制の問題、地下経済の跋扈により、インドの銀行は多額の不良債権を抱え、経済成長の大きな足かせとなっていると指摘されてきました。

しかしながら、2016年11月の高額紙幣の廃止以降、一時的な混乱はあったものの、インドの銀行システムには新たに800億ドル以上が流入。また、2017年7月の統一GST導入も、短期的な混乱はあったものの、間接税に関する根本的な問題に手が付けられ、中長期的な経済成長の見通しが立てやすくなりました。

Aadhaarの登録推進とインディア・スタックの整備、個人端末としてのスマートホン等の普及により、キャッシュレス決済が進展する分、地下経済が縮小します。今後、最先端のテクノロジーの利用とともに、デジタルエコノミーの実現に向けて社会全体がダイナミックに動いていくことが予想されます。

一連の動きを受け、株式市場は金融銘柄に対して好感しており、インドの銀行大手12行の銘柄で構成するNIFTY指数は、2017年年初以降一貫して上昇しています。

最先端のテクノロジーをも貪欲に取り入れ、ほぼ何も無かったところから短期間に大規模なキャッシュレス社会への転換を実現しようとしているインド。一旦、自らの色眼鏡を外して、虚心坦懐に現実を見てきたいものです。

(完)