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天才とは如何に

こんにちは。
水谷うーすけです。


世の中には、沢山のエンタメが存在し、それらから抜きん出た人たちを天才なんて呼んだりする。

でも、天才という定義は一体どこにあるのか。

大体の人が、何となく頭角を現した人たちのことを天才と呼んではいるが、成功しなかった人は才能がないということなのだろうか。

とんでもない。

僕の持論だけれど、天才というのは実は世の中に山ほどいる。

なら、天賦の才と呼ぶのは如何なものか?と疑問に思う所でもあるだろう。

でも、僕はあらゆる天才を世に放っていく人もまた、天才なのだと思っている。

芸能、芸術に限らず、何かを生み出す天才というものは基本的には専門的なことばかりだ。

それらに元から興味がある人以外からはフォーカスされる機会は少ない。

それらの天才を表舞台に持ち上げる人たちもまた天才だという話なのである。

だが残念なことにそのような天才もまた、天才であるがゆえに一定の数に留まっている。

だから、世の中にいるあらゆる方向の天才たちを、余すことなく夜に放てるわけがなく、日の目を浴びない天才たちの方が遥かに多いのだ。

僕は自分のことを、言葉を使う天才だと確信して生きてきた。

小学校では各作文の賞を何度も貰い、中学生の時は作文で担任の教師を号泣させた。

代筆した親友の夏休みの宿題の作文が市長賞を取ってしまったこともある。

それを信じて、作詞にとがったバンドマンを続けてきたけれど、僕はついに世に放たれ日の目を浴びることは無かった。

何が言いたいのかと言うと。

そんな僕の負け惜しみのようではあるかもしれないけれど、成功しなかった人達へ、その才能が価値のないものでは無いことを知って欲しい。

僕は今でも自分の才能を愛している。

こうしてたまに文章を書いたり、趣味で小説を書いてみたり、音楽をしたり、漫才のネタを書いている。

なんて、結局自分の才能を愛していればどんな境遇であれ、あなたは天才なのだ。

中学生の時の先生は「あんた絶対にミュージシャンになりぃや」と言ってくれた。

先生、僕はミュージシャンでは無くなって、あなたが号泣した文才で漫才のネタを書いているけれど、とても毎日が楽しいよ。

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