見出し画像

ベトナム起業日記:#45. サイゴンの結婚式

翌朝。
時差ボケに助けられて4時半に起きた僕はヘクターから指定されていた黒いズボンと真っ白のYシャツに着替えた。
まだ外は真っ暗な中、Grabタクシーで第7区のヘクターの自宅に向かった。
5時半過ぎにヘクターの自宅につくと我が社の他のメンバーはもう集合していた。
テーブルの上にはこの朝、花嫁の自宅に持参する貢物で埋まっていた。

ベトナムの伝統的な儀式で結婚式の朝、花婿の友人で独身の男たちが自宅から花嫁の言えまで貢物を担いで行くのである。僕たちはそのために朝6時前に花婿の家に集合したのであった。

僕は30年以上前、ベトナムのメコンデルタを旅行していた時にある村でこの儀式をみたことがある。男たちが大きなお皿にうず高く積まれた供物を持って1列になって歩いている光景を目にした。その日僕はその村を一日散歩していたので、昼下がりになって花嫁が花婿の家に向かう華やかな行列もみることができた。
メコンデルタの村は水路が幾重にも流れていて、その上を小さな橋がかかっている。そんな小さな橋の上やバナナの木に囲まれた小道を進む結婚式の行列の光景は物語の世界のようで見ている鮮やかに記憶に残っていた。

今回幸運にもあの儀式に自分が参加できることになったのだから人生とは不思議だなぁと思う。

本当は独身男性の役目のようだが、今回はレギュレーションが緩められ既婚の自分とVくんもこの役を仰せつかったのであった。
昔は花婿花嫁が同じ村や隣村に住んでいるということが多かったかもしれないが、現代では家同士の距離が近いことは稀なので途中車を使うらしい。ここはメコンデルタではないので、小さな水路や橋もないが、現代のホーチミンでこの儀式に参加できるだけでもなんという幸運であろう。

ヘクターから配布されたパンと牛乳の朝ご飯を食べているうちにカメラマンも到着し、いよいよ出発。
僕が渡された貢物の木製の大きな皿の上にはウイスキーなどのお酒類が積まれていた。思っていたよりも重い。
まずはエレベーターで1階に降りて外に出ると朝日が登り始めたところで、近くの大きな川から吹いてくる風が気持ちい。
ヘクターの自宅は日本でいうタワマンで1階に居住者用の大きなイベントスペースがあった。
そこに祭壇が用意されていて、そこにまず供物を並べてしばらく待つ。
サイゴンの3月は日本の7月くらいの温度だが、湿気がなくて朝と夕方・夜はカラッとしていて過ごしやすい。
カメラマンとヘクターが来ないので、コーヒーショップでアイスコーヒーを買った。冬の東京から来るとこの気候で飲むアイスコーヒーは実に贅沢に感じられる。

しばらくしてヘクターとカメラマンがきて、写真撮影が始まった。
こちらのカメラマンは日本のカメラマンよりもフレンドリーでフランク、何を喋っているかはわからないがみんなを笑わせながらいろんなポーズを取らせて写真を取っていく。
僕たちを横一列に並べて、両手をポケットに入れさせて、どや顔をさせてパチリ、こんな具合にいろんなポーズで写真を取られるのでエンターテイメント性が高く、写真を取られているだけで楽しくなっているのだ。

しばらく写真を取った後、ヘクターの親役である叔父から供物を直接手渡す儀式を行い、供物をバンに積み込んでいよいよ花嫁の家にむかって出発した。

花嫁の家の近くの空き地にバンが駐車し、そこから荷物を運び出してしばらくそこの空き地で待機した。

せかせかした感じではなく実にゆったりとアバウトに物事が進行していく点は日本の結婚式とは違う。

おそらく花嫁側の家の準備とタイミングをあわせているのだろう。しばらく待った後、急に出発の号令がかかり、6人の男たちは貢物を抱えて、一列になって路地に入っていった。

カラフルな低い民家に囲まれた細い路地を一列になって歩いていく。昔メコンデルタの村で見たベトナムの伝統的な風景の一部になれたことで恍惚感に似た感情が襲ってくる。

イケメンのヘクターの叔父を先頭に花嫁宅に向かう


いい気分で路地を歩いていくと、花嫁の家の前であろうか、遠くに若い女の子たちがアオザイ姿で横一列に並んで待っているのが見えてきた。

花嫁の家の前につくと拍手で迎え入れられ、こちらも横一列になって女性陣と向かい合う。
カメラマンがここでもいろいろな要求を飛ばして写真を取りまくった。
その間、細い路地を通り抜けたいバイクや車がくるので何度も中断してバイクを通し、また並び直す。厳かにというよりは若干の喧騒のなか貢物を渡す儀式は無事に完了し貢物隊は花嫁の家に招き入れられた。


アオザイ姿の若い女性に迎えられ照れが隠せない供物隊


この家は1階部分の全面がテラスのようにフロアがでていて、屋根があるが壁はない、そこにテーブルが並べられ僕たち参列者は座り、主役の新郎新婦とその家族は奥の家屋部分にいてそこで式が進行していく。
ベトナム後がわからないのでどういう順序で何が行われているのか正確には把握できなかったが、金のピアス、指輪、ネックレスなどを花婿が花嫁に取り付けるところから始まり、両家の紹介、写真撮影などと進んでいく。
花嫁は赤いアオザイに身を包んでいてとても綺麗だった。

1時間以上はそこにいただろうか、式が終わり、今度は貢物がなくなって空になった木製のお皿(というか台に近い感じ)を花嫁側の女性陣から我々に返す儀式が家の前で行われ、お皿を受け取って、貢物隊はもと来た道を歩き出した。
その後ろから少し距離をおいて新郎新婦、そして花嫁の家族とアオザイを来た女性陣も歩き出す。


役目を終えて清々しい気分でもときた路地を歩いていく。僕だけではなくそこにいるみんなが多幸感に包まれているようであった。

サイゴンの朝の光照らされて幸せな2人


今度は新郎側の家に移動してセレモニーの続きがあるようだ。
僕たちはバンの乗り込み、新郎新婦は"Just married"というメッセージが装飾されたメルセデスに乗って出発した。

バンでヘクターの家のあるタワマンのイベントスペースに戻ってくると、グループごとにテーブルに付き、いわゆる披露宴的なイベントが行われた。
両家の代表者は祭壇の前の長方形のテーブルに向かい合って座り、僕たち友人、親戚などはグループごと円卓につく。
ケイタリング業者のスタッフが料理のセットアップをしていていい匂いが立ち込めていた。しばらくしてごちそうが運ばれてきて昼食会となった。

シーフードのフライ(なぜかベトナムのコース料理はフライから始まることが多い気がする)から始まり、
蒸し豚のサラダ、湯でエビなどごちそうが次々とでてくる。
特にココナッツウォーター(ココナッツを割ると中に入っている水)で茹でた大きなテナガエビが美味しい。
濃厚なエビ味噌が詰まっているし、エビの味にココナッツのクリーミーさがほんのり加わってこれが本当に美味い。エビをココナッツの汁で茹でてみようなんて一体誰が最初に考えたのだろうと思いながらひたすらテナガエビにかぶりついた。

この昼食会で、ヘクターの叔父に挨拶ができた。僕はベトナム語は話せないが、ヘクターの叔父は中国語が話せるので、僕はソニー・エリクソン時代に北京の工場で習得したサバイバル中国語を思い出し拙い自己紹介ができた。

結婚式というのは本当に幸せな空気が周りに伝搬して皆幸せそうな顔をしている。40代になってから結婚式にお呼ばれする機会も減って来ていたが、久しぶりに結婚式のこの幸せな空気を体験できて、ヘクターに感謝であった。

時刻は14時。朝5時半に集合してからもうお腹も心も美味しいご飯と幸せな光景でいっぱいだが本当の披露宴は今日の夕方から始まる。。
日が高くなったホーチミンの道をタクシーでホテルに戻った。

続く。


最後までお読みいただき、心から感謝申し上げます!
この記事がお役に立ち、楽しんでいただけたなら、ぜひハートマークをクリックしていただくか、今後も私達のベトナムでの奮闘記に興味がある方は、アカウントのフォローをご検討ください。
皆様のサポートが私の大きな励みとなります!


私の会社Goldrush ComputingへのWebサービス、iOS・Androidアプリの開発のご相談はこちらからお願いします。↓↓↓

mizutori@goldrushcomputing.com


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?