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小学校の友達とは卒業式以来連絡を誰とも取っていなかった。

成人式で久しぶりに再会し、連絡先を交換した。

そして先日、連絡が来て何人かで飲みに行くことになった。こんな誘い、いつもなら断っているのになぜか断る気にならなかった。なぜだろうか。俺の心の中にも小学生の心がまだ残っていたらしい。

自分含めて五人が集まり、鳥貴族で話していた。21歳になる歳というのは、専門学校を卒業して就職する年らしい。今年の4月から働くと聞いて、なんかさもしい気持ちになった。

俺も大学に行かないでその選択をする世界線もあったんだなと今になって思った。後悔しているわけじゃないのだが、その選択を一度も考えなかった自分が不思議だった。何も考えずに大学3年のここまで来てしまった自分と、自分の人生を考えてひとまず一つ目のキャリアに辿り着いた同級生、よっぽど同級生の方が立派だなと感じた。

中三の生徒を塾で教えていたとき、その子はトリマーになりたいという夢を持って専門学校に行くんだと言っていた。俺が15歳の時なんて何してたろうか。馬鹿みたいに笑っていたことは覚えている。

大学院に行くことを考えている友達が多い。そんなに勉強、研究したくない自分には無理だなと感じる。

周りの人はほとんど留学に行く、卒業を一年遅らせるらしい。休学してワーホリする人もいる。いつも、ネットで取り上げられる大学生は休学して、海外に行くか、なんかの仕事をしている人だ。


エレカシの『友達がいるのさ』という曲が好きだ。宮本は間奏で「あいつ、また、でっかいことやろうとしてるぜ」と呟く。そんなことを呟いていたエレカシはアミューズから独立した。なんかでっかいことをしようとしてるらしい。

友達っていうのはでっかいことをするのだ。自分がしていないことがでっかいことにしか見えない。いいなとか俺もやりたいとかそういうのとはまた違う、あいつでっかいことしてるなというその気持ちがどこか自分の胸をちくちくとつついてくる。

マイナビの登録をしましょうというメールを無視するという、ちっちゃいことしかしていない自分。宮本の教えに則って明日も明後日も出かけようか。


人生いろんな形がある。3月に卒業した先輩は今働いているし、同期の友達は留年して今年も2年生だ。

星野源とか若林が確か、自分は普通に働けない人間だみたいなことを言っていた。だから今の仕事でよかったと。自分は普通に働けてしまう人間なんだろうか。

『愛なのに』という映画を見た。主人公はさびれた古本屋の亭主で、30歳、瀬戸康史。面白い映画だったのだが、どうやったら瀬戸康史のような人生が送れるのだろうか考えてしまった。実家が古本屋なのな?古本屋の売上だけで光熱費とか払えるのかな?瀬戸康史は普通に働けない方の人間だったのかな?その思考だと、勝手に古本屋の店主という仕事を普通の仕事じゃないことにしてるけど、そんなことはないんじゃないか?

余計な考えを映画に持ち込みたくないのに、マイナビ登録催促のメール通知が自分の思考を脇道に持っていく。登録すれば解決するのかな?

俺がもし普通に働けてしまう人間だったら。もし普通に働けない人間だったら。

自分がどっちに当てはまるのかよくわからない今、ないものねだりの僕はどっちの人間でもありたいと思っている。

ただ圧倒的に羨ましいと思うのは、星野源、若林、瀬戸康史。そう考えると自分は世の中の普通の人間であり、普通に働けてしまう人間なのだ。早くマイナビに登録して就活しろ。

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