咳をしても一人だから

風邪をひいた。久しぶりに。

検査をしたけど、どっちでもないと言われた。絶対にインフルかコロナだと思っていたが、二回検査しても出なかった。なかなかショックだった。

子供の頃から今にかけて、毎年インフルにかかっていた。インフルのつらさもコロナのつらさもわかっていたが、名も無い風邪も同様につらかった。

名も無い風邪はつらさを人にわかってもらえない。僕も人から風邪になっちゃってと言われたら、インフルでもコロナでもないからそんなに辛くないんだろうとか思っていた。自業自得だ。人に伝えたい。このつらさを。


風邪をひいたとて自分からの「大丈夫?」LINEしか来ない


私の自由律俳句です。尾崎放哉リスペクトが詰まってます。

こんなに寂しいことがあるか。夜は短し歩けよ乙女で描かれている風邪をひいた主人公の寂しさが痛いほどわかる。

例えば毎日LINEを送り合っている人がいれば、今日の近況として、「風邪ひいちゃってさー」が言える。自分が弱っているということを伝えられる。伝えたい。でもそんなLINEをする人がいない。人は普通一人、二人、毎日LINEで話す人がいるんですか?事務連絡しか使わないのはおかしいんですか?

別に無闇に弱っていることを伝えたいわけじゃない。体温計の写真をインスタに載せて、「つらいー」と文章に載せたいわけじゃない。そんなことしたくない。何なんだ、あれは。証拠写真なんか撮ったって、つらさが伝わるわけじゃないだろう。記録でも更新したんですか?デジタル表示された数字を撮るのは世界陸上だけでいいよ。

あくまで、自分発じゃなく、そういえばみたいな感じの何気ない助走があってこその弱みを見せる連絡なのだ。悲劇の主人公を気取りたいわけじゃない、自分のつらさを分かってくれる人が一人でもいてくれれば十分なのだ。

咳をしても一人にはこんな気持ちすら含まれている。名作すぎる。寂しい。

しかし、僕は咳をしても一人だが、咳をされても分からない人でもあるのだ。誰も僕に風邪をひいたことを言わない。咳をしても一人である人間として、咳してるね、って君に言うのに。咳してるねが言えない、そっちの方が寂しくないか。

平匡さんが風邪をひいたと聞いて、アイスを買ってきてあげるみくりさんになりたい。今まで、平匡さんにしか羨ましさを感じなかったが、みくりさんにまで羨ましさを感じるようになった。

愛されてない人が、愛されるより愛したいマジでなんて言えない。Kinki Kidsにも羨ましさを感じている。

咳はつづき、一人もつづく。この無間地獄。

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